この記事は映画『僕が跳びはねる理由』に関する意見を書いた記事です。
 非常にセンシティブな話ですが同時に非常に重い問題でもあるため、文の調子が厳しく見えるかもしれないことをお許しください。

 まずは、映画『僕が跳びはねる理由』の(日本での)公開前にこのような文章を書きますことをお許しいただきたい。
 これは、これから記すことがとても深刻な内容であり、なるべく早く声を上げておきたいという思いからであると信じていただければ幸いです。

 

 ここで第一に述べたいこと―― それは、パソコンや文字盤を通じてつづられるとされる「東田直樹さんの言葉」はニセモノではないか、ということです。

 

 このような意見に対してお怒りになる方もいるでしょう。

 

「それは差別だ!」
「思い込みだ!」
「見れば本当だと分かる!」


 でも、そうおっしゃる前にどうか次の2つのWikipediaの記事を読んでみてほしい。

●賢馬ハンス(クレバー・ハンス)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%A2%E9%A6%AC%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9


●ハリー・フーディーニ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8B
(特に略歴の中の「一方で~」からの段落を)

 この2つを読んであなたはどう思われただろうか?

 1つ目は「クレバー・ハンス」。
 人語を理解するとされた一匹の馬と、その中にあった真相。

 2つ目は高名な手品師、ハリー・フーディーニ。
 亡くなった愛母と降霊術で話したいと願うも、手品師であったがゆえに降霊術のインチキに次々と気付いてしまった男の皮肉な話。

 そして、この「クレバー・ハンス効果」と「手品」の組み合わせこそが「東田直樹さんの言葉、すなわちFC*」の正体ではないか、というのが私の意見です。

*FC(Facilitated Communication / ファシリテイテッド・コミュニケーション)の問題については、介助者である「ファシリテーター」だった当人がつづった手記もあるので参考にしていただきたい。→ http://pax.moo.jp/?p=2501


 ……本来なら文章をここで終えても良いのだけど、もう少し書いておきたいことがある。

 それは「東田直樹さんの作られた言葉」に必要以上に飛びついてしまう人は、自閉症の症状を『恥ずかしくてみっともない迷惑なだけのもの』と見なしているのではないかということだ。だから自閉症の人の本来の―― 自然な意思表示から目を逸らして、「お綺麗で、人に感動を与えて、社会の役に立つ、立派な東田直樹さんの言葉」という健常者にとって都合のいい存在に必要以上に飛びつくのではないか。そうすれば「自閉症をイヤだと思う自分」から逃げられるから。

 私はそんなニセモノの言葉に幅を利かせてほしくない。私が会ったのことのある自閉症の人たちの「言葉」や「行動」は、全部の意味は分からなくても、全てがちゃんと意味を含んでいると感じられるもので、私はそれを観察し、推測し、触れ合ってみて、意味をひも解きたいと夢中になってしまった。
 端的に言えば、私は彼らと友達になりたい!
 だから、彼らの「言葉」を無視するように「どうせ彼らの『奇声』に意味なんてないよ」と周りの人に言ってはほしくないのだ。

 私は自閉症の家族がいるわけでも、専門的に自閉症者と関わっているわけでもない人間だ。だから、私に「東田直樹さんの言葉」を語る権利はないと言う人もいるだろう。
 しかし、それは逆に言えば、しがらみがないということでもある。

 「王様はハダカじゃないか!!」と叫ぶならきっと私がちょうどいい。

 間違えてほしくないが、裸なのは東田直樹さんでも自閉症者でもない。
 「東田直樹さんの言葉」に必要以上に飛びついてしまう人が、裸なのだ。

 最後に。
 私が以前に会った全ての人たちと、これから会う全ての人たちと、
 私が友達になれる機会がいつかありますように。



●過去に書いたツイッターまとめ(一応参考になるかもしれないので置いておきます)
『FCと東田直樹さんのこと』
https://togetter.com/li/902696

 

◎追記21/4/8 

実際に映画を観てレビューも書きました。ネタバレあり(?)です。