ネットを見ているとしばしば、

 

 指談(指筆談)は世間から不当なバッシング(叩き)を受けている、

 

という話を見かける事があります。

 

しかし私は、この説明は正しくないのではないかと思います。

 

例えば間違ったことをした人がいれば 「それ間違ってるよ」と言われますし、
それでも間違いを改めなかったら 「ひどいじゃないか」と言われる事もあるでしょう。

 

アメリカやカナダでは、間違った 『介助付きコミュニケーション』
(※ Facilitated communication ファシリテイティッド・コミュニケーション)

が原因になって、何度も裁判が起こされています。

 

それでもこの方法を広めている団体(研究所)は責任を認めず、
思い込みで手法をやり間違えた人間が悪いのだ、と語っています。
そして相変わらず同じ手法を広めています。

 

これは無責任な姿勢だ、と私は思います。
そんなに深刻な間違いが何度も何度も起きているのですから、
自分たちの広めているものの根本についてよく調べ直し
危険性についても広くアピールしていくのが世のためだと思います。

 

この「無責任だ」という訴えを「バッシング」と表現する人がいます。

 

「バッシング」と言うと何か根拠のない意地悪のように感じないでしょうか?
でも実際には、ちゃんと根拠のある、声にした方が良い批判もあると思います。

 

必要な「批判」と、よく考えもしない意地悪な「バッシング」は別のものです。

 

ですから指談(指筆談)に関しても、
それに対して言われている批判が、必要なものか、そうでないのか、
実際のところをよく見てほしいと思います。

 

このブログはまさに 「批判的な」姿勢で書かれています。
しかし指談についてやり方も知っていますし、
広めている方々がどんなお気持ちなのかも多少は知っているつもりです。

 

そして何より、いわゆる障碍者も、そうでない人も、
幸せに暮らせる社会になっていってほしい
と考えています。

 

すぐに「批判=バッシング」と考えず、
批判している私も同じ人間であり、こころざしが似た部分もあるのだと知った上で、
このブログの記事を読んでいただけたら、ありがたく思います。 (終わり)