高橋昌一郎『理性の限界』
対談とか座談会というものは、まず、フィクションで仮想的に書かれたものか、実際に実施されたものかという区分ができる。
特に前者、仮想対談だった場合は顕著に、登場人物のキャラ付けは明確になる。
ツッコミ、ボケ、話題進行、解説役、反論役、まとめ役、萌えキャラ、などなど。
これは対談・座談会という形式の利点だ。
主張を明確に読者へ伝えるために、登場人物のキャラで議論のロジックを了解しやすくするのである。
高橋昌一郎『理性の限界』は、まさに群像劇とばかりに入れ替えたち替え登場人物、つまり話者が出てくる。
冒頭から挙げても、司会者、会社員、数理経済学者、哲学史家、運動選手、生理学者、科学社会学者……、話題が移ろうに連れて話者も姿を現し消えていく。
中で異彩を放つのが、カント主義者がまとわされたキャラである。
仰々しく威張り気味のいちゃもん付け屋で、反論を受けて渋々と退場する。かと思いきや、次の話題に間髪を入れず噛み付いてくる。
読み進めていくうちに、そろそろカント主義者が出てくるな、と予想してしまうと時すでに遅し。カント主義者の魔の手にハマってしまっているのである。
カント主義者の扱いのひどさには、知人のカント読みも失笑していたけれど、まあ仮想座談会にはこんなキャラは必須だ。
憎めないキャラに育て上げられたカント主義者に、作者の愛情を感じます。
本編自体は、机上の空論マニアにはたまらない知的遊戯。理性の、つまり人間の限界を痛感できる一冊。
その前に、議論に着いていけず自分の知性の限界にたどり着いてしまったのはヒミツです。
「選択」「科学」「知識」の限界に分けて進む座談会形式の議論は、ときに分かりやすく、ときに分かりづらい。そんなときはカント主義者の気持ちになって、分からんものは分からんので飛ばして先に進みましょう。
ボリュームがあるので飛ばしても堪能できるし、のちのちの再チャレンジも楽しめます。
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