私は悲しい。
虚しくて切ない。

去年、菅元総理の進退問題に注目が集まった際
息子とこんな話をした。


「お母さん、総理大臣って「辞めろ」といわれたら
 すぐに辞めてもいい仕事なん?
 やると決めた事をやり遂げるまで、
 やり続けたら駄目なん?
 俺は、政治家はみんな国の事を思っているんだと
 思っていたけど違うん?」



「そうだね・・・。みんな国の為を想って話し合っているはずだよ。」



「でも、じゃぁなんで、政治家は被災地の復興のことも
 話し合わずに、こんな話ばっかりしよるん?」


 「そうだね・・・。なんでだろうね。」



去年、息子は10才だった。
この会話は30歳になった私の胸に突き刺ささり、
悔しくてもどかしくて情けない気持ちで新聞に投稿した。
政治家は、新聞の投稿欄なんか読みはしないのだろうか?
この子の声はどこの誰にも届かないのだろうか?





今日のニュースを見て、息子は言った。


 「また総理大臣変わるん?
  俺は、野田総理に続けて欲しいけどな・・・」




政治家は新聞の投稿欄を読んだりしないかもしれない。
でも、TVの前でお菓子を食べながら、
トランプをしながら、
家族とおしゃべりしながらでも、
ニュースを見ている子供がいる事を知って欲しい。
子供がニュースを見ないと思っているのだろうか?
政治になんて興味がないと思っているのだろうか?
その程度に考えているなら、それは大間違いだ。



今日の国会は息子にしてみれば単純に野田総理の
言っている事の方が真っ直ぐに聞こえたようだ。
私も賛成だ。
こう言ってはおしまいかもしれないけれど、
誰がなっても1年の総理大臣ではないだろうか?
1年のうちの何か月を「総理降ろし」に時間をかけるのだろうか?
私は野田総理の言葉には耳を傾けたくなる。
耳を傾けたくなるというのは大切なことだ。
「大人」でいる事が辛くなるほどに、情けなく思ってしまう政治。
どうか、ご自身やご自身を信じて周りに居てくださる方を
信じ、総理大臣を続けてくれたりはしないだろうか。
私達、国民に逃げずに立ち向かう事を身をもって教えて欲しい。