注意) ※長ーーーいです※
2022.6.30
梅雨明けして数日経った今日は
ジリジリとした日差しが
圧のようにも感じました
(やさしい圧です)
行きたい場所は
しばらく心の中に陣取っていた
あの神社、あの施設
の2つ。
今日行くのはどっち?
自分と対話
娘も一緒だからイメトレも重要
6月最後の日
一年の半分が終わる日
節目感
今のわたしにもきっとピッタリだ
行き先は
“玉山神社”
とその前にマックに行く!!
と娘が行きたがる。。。
むむむ
マックに行ったら神社いこうね
と交渉
子育ても日々の積み重ねだから
色々と考えてしまうけど
今日が楽しくなればOK。
と自分に確認
いいよいいよ
この一件でも
学びあったじゃん
はいっ
次向かう先は神社!
歩いている途中で撮った写真とともに
こちらの案内板に出会う前にあった
最初の案内板には
玉山神社600mと書いてあった
(それを見たのは帰り道だけどね…)
意外と遠いーー。
坂道あり。
都会だったら
こんなの日常だったりするんだよねー
旅行行ったらほぼ歩きメインよねー
と思いを馳せたり、思い出したり。
まず暑い
帽子は車に忘れてしまった
すぐ辿り着けると思っていた
あれ?
あちらにも鳥居が見える
ん?
名コンビ?
の文字が最初に目に入った
平成に書かれたものだからなのね。
娘を抱っこしたり、一緒に歩いたり。
ちょいと急めの坂道
写真撮ったあと抱っこしました
またもや
鳥居がみえてきた
ひらけた空間
お茶畑
登らなければ気づかないなー
サンサン太陽
汗だく。
お茶畑を抜けると
またもや鳥居が!!
いよいよ感
この先の向こうに
ついにお目にかかれる…
やっと!!!
辿り着いた!!!!!
階段の手前まで抱っこ
ふーー。
暑いゼ
「こちらの水は飲めません」
のお知らせが書かれた手水舎で
お清め
お賽銭箱は
閉じられた扉の中に
開けていいの?
このスタイルの神社に
毎回、一瞬
躊躇してしまう
「失礼します」
おそるおそる扉を開け、
靴を脱ぎ
お賽銭を納める
手を合わせ
いま思っていること
願いなのか、、
現状の感謝の気持ちを念ずる
最終的には
「世界が平和になりますように」
でいつも締めくくってしまう
念?願い?
が終わったと同時に
外からざわめきが聞こえる
何かの機械音?
農家用の車の音か何か…?!
なにこの音
ちょっとこわいし
靴を履き
え、セミ??????
この鳴き方はセミだと思うけど
音がなんか違う
これは収めねば!
とスマホを木々たちに向ける
あ、セミだよねたぶん。
木々たちの空間に響きすぎて
通常聴くセミの鳴き声に
聞こえなかったのだと思う
あとで動画の音を聴けば
おそらくセミだな、とはわかったけど
大合唱
こんなの初めてだったから
一瞬こわかったけど
聴いていると
迎え入れていただけたのかな
と、プラス思考へ変換
また来ます
帰ろうとした背中を
引き止めたのは
むむ!
最近ネットでやたらと見ていたものが
手を合わせ写真撮るのみ
「夏越の祓」
だったと
その意味やらも
その時は知らずでした
神社のこと
意外と詳しくないわたし
ただ、行くことは好き
お参りして
何を感じるのか
どういう氣を受けるのか…
を確認しに行っているような感じ
失礼極まりないのかな
霊感はないし、視えないけど
自分自身がなにを感じるか
そういう場所であり、
お参りする
という行為が
自分を浄化しているのだとも思う
信じる心、
それが信仰で
それが自分をつくる一つでもあるような
神様はみえないから
いるのかいないのか…
分からないのが事実
でも生きてきた中で
みえない力に助けられたな
と思える出来事はある
ただの偶然じゃん
と思いたくない
ご先祖様なのか守護霊なのか
わからないけど
そういうことを信じることが
救いに繋がっている気がする
自分を信じること
に繋がります
信仰の自由の国に生まれてよかった
宗教に属さなくても
私はいい
否定はしてません
イイ事取りできるじゃん
と思ってます
でもどの宗教も
言ってることは
争いとかなく、
皆の平和を願って
できあがったものじゃないのかな?
と詳しく知らないのに言うな!
って感じかもしれませんが
そうじゃないかな〜と信じるわたし
話が脱線しまくりだ
鹿児島県日置市にある
美山のまち
車で走るだけでも
気分が落ち着くんです
そのまちにある
玉山神社へお参りできて
(自己紹介だったかも(^^) )
気分も良き
今度はゆっくり
その土地を周りたいなと
思っています
長ーーーーくなりました
自己満足です⭐︎
下書きしてそのままのことが多々あるけど
今日は残しておこうと思いました。
(投稿日時は書き終えた日)