森本三郎展
が開会し、小樽芸術文化ルネッサンス研究会の活動も一段落ついたのですが、本業の仕事や学業のほうが忙しくなってきたため、すっかり更新が遅れてしまいました。
今日から森本三郎
の魅力について、小さな随筆誌「紅」に掲載された森本三郎の随筆とともにご紹介したいと思います。
小さな随筆誌「紅」は、昭31年から昭和57年まで 札幌の岩田醸造
のPR誌として刊行されていました。
表紙・カットには、今ご紹介している森本三郎
をはじめ、六花亭のパッケージなどで有名な坂本直行
、川上澄生
、おおば比呂司
などが。執筆は更科源蔵
、八森虎太郎
、和田義雄、香川軍男、木田金次郎、支部沈黙、伊藤秀五郎といった地元出身の作家や画家に加えて、吉田健一、串田孫一といった方々も寄稿していました。
この小さな随筆誌「紅」の内容をすべてご紹介できないのは残念ですが、今回の森本三郎展
にあわせて、関係するところを毎日1つ紹介していきたいと思います。
今日は、森本三郎が最初に寄稿した第7号の表紙と随筆です。
<森本三郎>
第 7 号 (1957 4・25)
「人間ぎらい」
- 夢 -
人々は夢をだいて生きている。夢みて暮らしているといってよいだろう。たとえば電話が発明されると、すぐ相手の顔がみえたらとおもう。だれもが頭にうかべ、またわすれてしまうものではあるが、それが、どこか、だれかの胸にふくらんで間もなくテレビが生まれる段取りになる。
これはまことによい話であろう。よい話だが、こんなことも考えられないことはない。
電話を架けて、いつベルがなるか、なるか、いらいらする生活がはいりこんでくる。相手の話がつまらないと、みえない顔を軽侮する。
文明というものが、知らずのうちに人と人との間を「物」化して人間性の自壊作用や風化作用の傷口をつくる。
テレビだっておなじことだろう。しばらくたつと、ふくらんだ夢がしぼみ、耐えがたい空しさがのこってくる。こういうとき夢がふくらんだ。もっとも原初的な状態や、形態や、行為を考えてみよう。むだなことではあるまい。
要するに、私は商業主義にむすびついた文明生活は、人間への神秘、期待、感動をようしゃなく、はくだつしてゆくのでありがたくないということなのである。
- 化ける -
女房は気づいていないとおもうのだが、ある日、ひょいとこんなことをいった。
「もう、そろそろ白粉つけてみようかしら」
「なんだって」
「あんたのために」
「おや、おや」
私は白粉をつけている女は大きらいである。顔を洗ってノッペラボ-になってはかなわないのである。女房がお化けであってはいけないのである。
街をあるきながら、しかし素顔の女もふえたものだとおもう。
美粧界では個性美を説く、とくにフランス帰りは力説する。ところがこれは嘘である。このウソであることが本当の生活なのであって、ウソでない生活は暮らしにくいということだ。だから、一つの没個性的なワクの中で、それが個性なのですと幻覚をあたえるしくみをつくる。まあ、短い生涯で、一度くらいは白粉をぬった生活があっていいかも知れぬとおもうことがある。
- ふたたび夢 –
「江別のみそ屋でござい」と岩田さんが飛びこんで来たと、光子はいう。五十がらみの人だったともいう。子供たちもお父さんより年をとっていたかも知れないという。おもしろい話で、年なんぞはどうでもいい。岩田さんから女房がいただいた「紅一点」という味噌は、たしかにうまい。『紅』という雑誌もなかなか読ませるとおもっていたやさき、「江別のみそ屋でござい」の岩田社長がほほえましいのである。そして私の夢のなかで一つの人間像がうまれてきた。
私は、うまい「紅一点」を毎晩楽しみにすするであろう。だが岩田さんとは、あわぬほうがよいとおもう。
人と人とのつきあいは、はじめは尊敬にはじまり、しまいには罵裡暴言をあびせることでおわりとなることが多いようにおもう。
敵になるための友。
人にたいする尊敬、愛情、感激、信頼は、ほんの一瞬間できめられるばあいもあると信じている。
- 結び –
私が人間を裏切るばあいが多い。
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