今回紹介する記事は
2024年2月27日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【「特別な国」として】


というタイトルで、
専門記者大治朋子氏が、
ガザの人々にとって日本は「特別な国」だと感じることが少なくなかったことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 ガザ北部への食糧の版勇を一時停止せざるをえなくなった―。

 国連世界食糧計画(WFP)がそう発表した。

イスラエルや、
パレスチナ自治区ガザ地区を統治するイスラム組織ハマスから、
理不尽な扱いを受けても、
できる限り秩序を守って行動してきたガザの人々である。

その彼らが略奪行為に走っているというのだ。

 WFPによると、
特に食糧難が深刻なガザ北部に向け搬入を試みたところ、
「飢えた人々の群れに囲まれた」。

トラックに乗り込もうとする人々を何度かかわしたが、
わずかな食糧しか配送することができなかったという。

 翌日も搬入を試みたが、
「高い緊張と爆発的な怒りの中で」運転手が殴られ、
積んでいた小麦粉などが群衆に奪われた。

WFPは、
「私たちのチームは前例のないレベルの絶望を目撃した」
と述べている。

 エルサレム特派員時代、
イスラエル軍とハマスによる戦闘で食糧難に陥ったガザに、
WFPが物資を運び込む様子を取材したことがある。

ガザの人々は係員の指示に従い、
整然と列をなしていた。

 その姿に、
日本の被災地にも通じるものを感じた。

 ガザの人々にとって日本は、
「特別な国」だと感じることが少なかった。

配給食糧の袋などに、
「日の丸」が描かれているからだけではなさそうだった。

そんな思いがより強まったのは、
東日本大震災の日を前に開催されたガザでのイベントだった。

 私が特派員でいた約10年前から数年間、
国際機関の支援を受けて子どもたちがたこ揚げをしていた。

「日本を愛している」。

英語でそう書かれたシャツを着て、
大空を通じて被災地にエールを送った。

 インターネットを通じて、
日本の被災地の子ども達と話したこともある。

ガザの子どもたちは、
日本についてよくこう語った。

 「日本は戦後、
立ち直った。

だから被災地もきっと復興する。

ガザも今はがれきばかりだけど、
いつか日本みたいにすごい国になる」

 日本の戦後復興物語に関して、
なぜかガザの子どもたちは知っている。

そこに未来のガザ、
希望を見いだしているようだった。

 そのガザの子どもたちが飢えている。

日本政府は欧米追随に安住せず、
ガザ市民の支援においては「特別な国」として、
独自の役割を果たしてほしい。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

ガザの現状は日本の被災地にも通じることに関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

ガザの人々に誇れるほど、
日本は素晴らしい国だとは思えない。

ガザの人々が羨望しているのは、
戦後復興を成し遂げた頃のニッポンであり、
現在のニッポンではないと思われる。

なぜなら、
イスラエルのために動く日本政府なんて、
ニッポンではないことになるからだ。

ガザに関する記事をスクラップする度に、
心が重くなる今日この頃である。

(4)今後、どうするか?    

・大治朋子氏に関する記事をスクラップする。

・世界からみられる本当の日本に関心を持つ。

・ガザにとって日本は「特別な国」であることを忘れない。

…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

大治朋子氏に関する記事は、
以前も紹介しました。


「特別な国」日本。

他国からお手本にされているのであれば、
少しはましな国にならないといけないでしょう。


皆さんも、
ガザの悲惨な現状に関心を持って下さい。

そして日本政府は何をしているのか追ってみていただけると幸いです。