今回紹介する記事は
2024年2月8日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【文学賞の価値】


というタイトルで、
東京学芸部吉井理記氏が、
庶民派の面目躍如について、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について
(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて

(1)内容の要約

 作家、
河崎秋子氏が「ともぐい」(新潮社)で、
第170回直木賞を受賞した。

 正直に言えば、
僕は熱心なファンとは言えないと思う。

なのに、
なぜ喜んだか?

 河崎氏は2年前、

「絞め殺しの樹」(小学館)でも第167回直木賞の候補になった。

当時、
僕は文芸担当の記者だった。

 補足すると、
担当記者は全候補作を選考会当日までに読み込み、
著者に取材しておく。

さらに各方面で情報を集め、
有力作の当てもつける。

選考結果の発表は夜だ。

締め切り時間に記事を間に合わせるための下準備である。

決して発表だけ聞いてサクッと生地にしているんじゃない…、
と報道の内幕を知っていただいた上で話を進める。

 第167回では河﨑作品を含む5編が候補になった。

長編では、
笑話の北海道を舞台に、
厳しい時代の枠にとらわれつつ、
蹴飛ばされ、
踏みにじられてなお、
性を刻み続けた女性を描いた河﨑作品が、
僕の心には圧倒的に残った。

だが…。

選考会では芳しい評は得られなかった。

早々に選外になった。

 その後、
ある文学賞に「絞め殺しの樹」を候補作として推してみた。

この章では無事に候補となり、
選考会では最後で受賞こそ逃したものの、
高く評価された。

 …という経緯があっての直木賞受賞である。

僕も留飲を下げた。

もちろん、
賞を受けようが受けていまいが、
読み手によって「人生の一冊」になりうる。

賞という名利に読者までとらわれる必要はない。

 思えば、
僕が愛してやまない山本周五郎は、
直木賞や毎日出版文化賞など、
賞と冠したものは全て辞退した。

内田百聞は日本芸術院会員に推されたが、
「いやだからいやだ」と辞退した。

 なかなかできることではない。

庶民派の面目躍如である。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

賞という名利に読者までとらわれる必要はないことについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

北海道から文学賞作家が誕生したことは喜ばしいことである。

反面、
山本周五郎や内田百聞の賞と冠したものは辞退したり、
「いやなものないやだ」と辞退する姿勢を忘れてはいけないと思う。

スポーツの世界大会で優秀な成績を収めたものに対し、
一行政府の長ごときがしゃしゃり出てきて、
心にもないことのやり取りをするさまを幾度も見せつけられることに、
吐き気を催しているからだ。

もうそろそろ、
固辞することの素晴らしさを見せてほしいと思う今日この頃である。


(4)今後、どうするか?    

・吉井理記氏に関する記事をスクラップする。

・庶民派の面目躍如に関心を持つ。

・時には固辞することを貫く。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

吉井理記氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

「いやなものはいやだ」という姿勢、
時には貫く必要があると思います。


皆さんも、
庶民派の面目躍如に関心を持って下さい。