今回紹介する記事は
2023年9月17日付けの
 
「朝日新聞」の記事です。
  
【国葬の日 分断すらない日本人 大島新監督 全国10都市「日常」拾う 「少数派にいたくない ムラ社会のお上主義」】


というタイトルで、
映画監督大島新氏が、
国葬は世論の「分断」ですらない実態が浮かび上がったことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 大島新氏は、
「何故君は総理大臣になれないのか」で野党政治家に密着し、
「香川1区」では選挙戦を描いた。

制作過程で有権者のリアルな投票行動や思いに触れる機会が多かった。

 「政策や候補者の人間性を議論するのではなく、
投票行動の基準が横並びだった李、
地域の顔役が『次の選挙もよろしく』と言っているからだったり。

この日本人の気質は何なのか。

政治家そのものより、
日本人の気質に僕の中で焦点が変わっていった」
と振り返る。

 朝日新聞などの世論調査では、
国葬反対が賛成を上回った。

「反対の声が日に日に増していったと数字では出ていた。

しかし、
僕はその空気に懐疑的だった」。

「結局は少数派の側にいたくないだけではないのか。

安倍晋三が銃殺された2日後に行われた参院選で自民党を大勝させたのも日本の有権者。

国葬についても、
自らの意思として強く反対している人も、
賛成している人も、
どちらも多くないだろうと思っていた」

 そんな問題意識は、
作品の手法からも伝わる。

ナレーションや音楽といった演出はせず、
場所や時間のテロップを出す程度に抑え、
「スケッチ」することに徹した。

その代わり、
強調したのが「日常感」。

日本の有権者における「今」を切り取った。

 監督は、
「『国が決めたことやから』という言葉は民主主義の放棄。

本来は我々国民が決める側にいて、
選挙があれば政権を代えることもできるはず。

選挙がないときにデモをやるのは、
当然の意思表明だが、
国が決めたことだからという人は、
自分が決める主体の一員だということが頭にない」
と話す。

「でも、
お上が決めたことだから素直にすべて従う『お上主義』の人は、
かなりいると思う。

周囲と違うことをやらない。

同調圧力が強い。

日本全体の『ムラ社会』的な空気や土壌が影響している」
とみる。

 ドキュメンタリー作家として一貫して大事にしてきた姿勢は何なのか。

「僕は、
みる前とみた後でちょっと景色が変わるような作品が好きで、
そういうものを作りたいといういつも思っている」
と言う。

今作をみた女性から、
「30年後にこの映画を見た人が、
『昔の日本人はまったく政治のことを考えていなかった』
と思えるようになっているといい」
との感想が寄せられた。

監督はこう強調した。

 「その前提となる日本の未来は、
もっと一人ひとりが自立している世界。

そういったことを望みたい」


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

全く政治のことを考えていなかった日本人が大半であることについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

被災地に消費期限切れの食べ物を送る首班に対し、
食べられるだけありがたいと思えという愚者が存在する。

石川県庁が渋滞するから来るなと言う雑な発信から、
被災地に行く奴は屑とデマを流す愚図がいる。

国会議員が被災地訪問をしたことに対して、
売名行為だと罵るネトウヨが蔓延る。

寄らば大樹の陰。

年始早々、
権力者に媚びる輩が多くて憂う。

今回の記事は、
そんな日本人の気質を突いた記事である。

安倍晋三一人銃殺されたところで、
この国において選挙の大勢に大きな影響はないことを参院選から学んだ。

国が決めたこと輩、
少数派にいたくない、
ムラ社会のお上主義…。

次の衆院解散選挙は衆参同日選挙という意見も散見する。

そうすれば裏金だろうが何だろうが自民党圧勝で、
これにて日本詰みとのことらしい。

昔の日本人は、
国民が決める側にいるという民主主義を自ら放棄していたと、
我々有権者が後世の子々孫々に語られる日は、
そう遠くないのかもしれない。



(4)今後、どうするか?    

・大島新氏に関する記事をスクラップする。

・国民が決める側にいることを強く意識する。

・勝ち馬にしか乗らないようにはならない。

…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

大島新氏に関する記事は、
以前も紹介しました。

少数派にいたくない、
お上至上主義、
同調圧力が強いムラ社会…、
これ以上さもしい国にしたくないですね。


皆さんも、
民主主義の国民が決める側にあることを強く意識して下さい。

一人ひとりが自立している世界であれば、
もう少しましな世の中になると思うためです。