今回紹介する記事は
2022年9月11日付けの
     
「北海道新聞」の記事です。
      
【良い「がまん」どこまで?】


というタイトルで、
精神科医の香山リカ氏が、
自分の人生を自分で選んで決めたりする自由も、
必要ながまんもあるということについて、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて

(1)内容の要約

 がまんって、
どれくらい大切なのだろうか。

 最近、
そんなことをよく考えている。

いま勤務している診療所の患者さんには高齢の方も多く、
苦労話をしてくれる。

「昔は寒い時期も納屋で働いてつらかった」
「小学校を出た年に奉公に出されて泣いていた」
などで、
中にはもっとすさまじい経験談を話す人もいる。

「いまではすべていい思い出」
と言う人もいるが、
多くの場合、
つらい記憶が変わらずに残っているようだ。

 その人たちより年下の私は、
ときどきこう尋ねたくなる。

「どうしてほかの場所に逃げなかったのか」。

もし実際に聞いたら、
いろいろな理由が返ってくるだろう。

これは想像だが、
多くの人たちは
「がまんするのがあたりまえ」
と思っていたのではないか。

「出ていきたいからそうする」
といった選択は自分勝手で許されないことだったのだ。

 ただ、
それは間違いや悪いことではない。

その人たちのおかげで、
いまのこの町があり、
次世代の人たちも安心して暮らしていける。

誰もがすべてのがまんをやめて好き勝手に生き始めたら、
あっという間に社会はめちゃくちゃになるだろう。

 とはいえ、
自分の人生を自分で選んだり決めたりする自由も、
やっぱりとても大切だ。

私自身、
東京での大学教授などをやめて地域医療の仕事に飛び込んで、
「本当によかった!」
と満足している。

もし、
「ダメです。

がまんして大学の仕事を続けなさい」
と言われてたら、
モヤモヤしたままストレスもたまったはずだ。

 必要ながまんもある。

でも、
がまんのしすぎは心とからだをむしばむ。

どこまでが“良いがまん”でどこからが“良くないがまん”なのだろう。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

がまんの良し悪しについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

「どうして今の職場を辞めようと思わないのか」

仕事の愚痴をこぼしていると、
相手から聞かれることがある。

金をもらっているから、
で話は終わってしまうのだが、
セーフティーネットから外れることが恐ろしいだけからかもしれない。

「我慢の時間」は確かにある。

スポーツにおいても日常生活においても、
冒険をしない選択が必要な時はあるのだ。

耐えに耐え忍びに忍ぶことを厭わないこともだ。

但し、
「我慢のし過ぎ」で心身に不調をきたすこともある。

若輩者でありながら、
「こりゃもう駄目だ」
と匙を投げて逃げ出した経験は、
公私において間違いなくある。

ただ、
あの時の選択は間違っていないと思う。

あのまま居続けたら、
五体満足はないだろうし、
起き上がることすらできないうつ状態に陥る危険性があったためだ。

「自分の人生を自分で決めたりする自由も大切だ」

この記事で書かれていることだが、
自分は危険察知ということで、
逃げの一手に使ってしまった。

果たして評価されるのだろうか。

願わくば、
能動的に自らの道を決めるのは自分という、
前向きな方向で使うべきなのだろうが、
近年は答えをすぐに出さないことにも適用できるのではないかと思う。

物事白黒つけたがるきらいがある自分だが、
わからないことはあえて据え置いて、
時間が経てば解決するので、
早計な判断を下すのではなく、
落ち着いて行動せよ。

数年前高校教師と会食した際に似た言葉を言われたが、
今年になってそう感じることがある。

これも「がまん」に該当するのか、
精神科医に訊いてみたい。


(4)今後、どうするか?

・香山リカ氏に関する記事をスクラップする。

・がまんは良いものと悪いがまんがあることを認識する。

・睡眠を十分取るよう心がける。



今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

いつかは笑い話になる。

そう言われて十年以上経過しても、
忸怩たる思いに変わりはないという事柄が、
未だに存在します。

あれは「悪いがまん」だったのか、
逃げるように身を引いたことこそ、
良い選択だったのか未だに答えを出せないままです。


皆さんも、
「良いがまん」について考えてみて下さい。

自分の人生を自分で決めたりする自由も大切であることを念頭において、
であります。