【生涯学習論 12.生涯学習社会における学社連携と学社融合の考え方と具体例】




学社連携とボランティアの問題点

・学校教育と社会教育の連携を図ろうとする事業を一般に<学社連携事業>と言い、
学校施設の地域開放を初めとして様々な事業が試みられている。

・どちらかといえば<学校教育への社会教育機能の取り込み>が図られる例が多く、
地域の物的・人的資源を学校教育に積極的に利用していこうとする活動が中心で、
学校教育と社会教育とを統合的に捉えなおし、
学校を生涯学習の拠点として位置づけようとする点はあまり見られない。

・生涯教育の理念には<学校の社会化>という視点が含まれているはずなのだが、
現在の日本ではむしろ<社会の学校化>が目指されているかのような危険性さえ感じられる。

・学校には学校図書館を置くことが義務付けられており、
学校図書館にはその専門職員として<司書教諭>が配置されなければならないことになっている。

・地域の公共図書館と学校図書館とがそれぞれの専門職員である司書と司書教諭とを通じて協力関係を結び、
地域ネットワークを形成することができたならば、
学校教育にとっても社会教育にとっても大きな武器となり、
生涯学習社会の実現へ向かっての有効な手立てとなるはずである。

・可能となるためには学校教育の改革という視点を含んだ新しい理念への合意が必要である。

・現在の学校にはまだ合意を作り上げていく土壌がない。

・中途半端な<学社連携>は、
かえって生涯学習の理念を逆行させる恐れがあるのである。


生涯学習と社会という背景

・定義としてよく引用される1992年中央教育審議会答申
「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」
では、
学習者が何をどのように学ぶべきかは示されていない。

・2006年の教育基本法改正において、
第3条として条文が追加されたが、
やはり何をどのように学ぶかについては触れていない。

・個人が自発的な意思に基づいて学習内容を決定することが基本であり、
審議会答申や法令で規定することは適当でないためであると考えられる。

・学校教育を受ける時期は生涯を通じて開かれているし、
学習する場は学校に限られず、
学校教育と地域に行けるシュシュの学習機会を連携させ効果的に組み合わせ、
生涯にわたっていつでもどこでも学ぶことができるという環境を実現することを目指している。

・1949年に制定された社会教育法第3条では、
理念につながる考え方が既に示されている。

・実現を目指して各種の学習機会を連携させるという方向性は、
国際的にも重要視されている。

・概念は、
学校・家庭・地域・あるいは学校教育・家庭教育・社会教育の連携協力を重要な要素として内包しているのである。


学社連携・学者融合という考え方

・前者は、
学校教育と社会教育の連携を進める前者の取り組みが各地で行われるようになったが、
両者を一体的に進める後者が必要であると主張されるようになった。

・後者は、
学校教育と社会教育がそれぞれの役割分担を前提とした上で、
一歩進んで、
学習の場や活動など両者の要素を部分的に重ね合わせながら、
一体となって子どもたちの教育に取り組んでいこうという考え方であり、
前者の最も進んだ形態と見ることもできると、
前者との比較の中で後者の定義を行い、
青少年養育施設のみでなく社会教育・文化・スポーツ施設などが学校と連携して、
自然や日常の背活の中での体験楽手のための事業を展開していくべきである。

・前者と後者が求められる学校側の要因としては、
学校の身では解決できない課題が増加し、
地域住民の協力が必要であるとの認識が深まったことが挙げられる。

・前者と後者の具体的な活動は、
地域によって多様である。

・前者の一例として、
理科の授業で地元の動植物についての学習の一部として、
科学系の博物館を利用するという、
学校教育が社会教育施設を補助的に利用するという形態の授業がある。

・一歩進めて、
博物館が事業の一つとして、
学校が授業で活用できるプログラムを企画して学校に提供することが考えられる。

・前者は前者であるが、
後者は、
後者を実現するための取り組みである。


・博物館にとっては、
前者・後者が進むことによって、
好循環が期待できる。

・公民館等の社会教育施設が学校の教育活動を行う場を提供する(前者)の身でなく、
一歩進んで、
学校と協力しつつ、
公民館が主体的に口座開設・運営のノウハウや講師のネットワークを駆使して通学合宿活動のプログラムを企画し、
学校教育に提供するところまで行えば、
後者に結びつくだろう。

・先に、
「前者が最も進んだものが後者である」
という996年雄生涯学習審議会の定義を引用医s多が、
重要なことは、
連携か融合かということを二者択一で選んだり、
どちらかに無理に当てはめることではないし、
連携では不十分から必ず融合に進むべきであるとは必ずしも言えないということである。