今回紹介する記事は
2021年9月19日付けの
     
「北海道新聞」の記事です。
      
【正義感の変質 人生は紙一重】

 



というタイトルで、
エッセイスト北大路公子氏が、
貴志祐介著「青の炎」を通して、
人にとって取り返しのつかないこととは何か、
答えが判ったとしてもどうしようもないことに、
自分自身に照らし合わせて何度も考えてしまうことについて、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

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始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 子どもの頃、
海水浴場で沖に流されたことがある。

浮輪に座ってぷかぷか遊んでいたはずが、
気がついた時には景色が変わっていた。

 「どうしよう…」

 戸惑っている間にも、
浮輪は沖へ向かって進んでいく。

方向転換すらうまくできない。

「このままでは大海原に一人流れ出してしまう」
とはっきりことばで思ったわけではないが、
とにかくパニックになった。

浮輪に座って遊ぶくらいだから、
当然カナヅチだ。

 困ったあげく、
私は勢いよく海に飛び込んだ。

一瞬でぶくぶく沈みながら、
「ああ、
やってしまった」
と思ったのを覚えている。

あの時の取り返しのつかない気持ちは、
今もふとした時に思い出す。

 貴志祐介著「青の炎」(角川文庫)は、
人が「取り返しのつかないこと」に向かって進んでいく物語である。

主人公は高校生の秀一。

成績優秀で家族思い、
精神的にも自立した17歳だが、
実は一人の男を激しく憎んでいる。

10年ほど前に離婚した、
母の元再婚相手だ。

男は突然、
秀一たちの前に現れた。

そして、
そのまま家に居座っている。

昼間から酒を飲み、
無断でお金を持ちだしてはギャンブルに注ぎ込む。

乱暴で女癖が悪く、
母のみならず中学生の妹にまで性的な目を向ける。

秀一はそんな男を心の底から憎み、
ついには「醜い寄生虫」として排除しようと考えるのだ。

 排除というのは、
つまり殺害である。

完全犯罪を企て、
理性的かつ科学的に計画を進めていくのだ。

力や運には頼らず、
あくまで冷静な知性で殺人を練り上げる様は、
まるで緻密なゲームを組み立てているようだ。

そして、
彼を狂わせた。

 当初、
秀一を動かしていたのは、
紛れもない正義感であった。

あの卑劣な男から母と妹を守るため、
いわば正義の殺人である。

なんとか大人の世界に立ち向かおうとする切ない心情は、
完璧な殺害方法を思いついたことで、
少しずつ変質していく。

警察すら騙せる、
他人や状況をコントロールできるという万能感。

世の中には、
「殺す以外には、
どうしようもない屑野郎」
が存在するのだという歪んだ思い込み。

幼い傲慢さが、
やがて二度と戻ってこられない場所へ彼を連れていくことになるのだ。

 秀一の若い正義感を責められる人は、
だれもいないだろう。

あれだけの頭脳と実行力があれば…、
と共感することもあるかもしれない。

だからこそ、
本書は胸の痛む物語である。

人にとって取り返しのつかないこととは何か。

人生のどの地点に戻れば未来は変わったのか。

答えが判ったとしてもどうしようもないことを秀一の立場で、
あるいは自分自身に照らし合わせて何度も考えてしまう。

変質した正義感の向こうに、
読者それぞれの人生が透けて見えるのである。

 ちなみに、
あの日溺れた私は、
見知らぬ男の人に助けられて、
無事に今こうして生きている。

死んでいても全然おかしくなかった。

人生は紙一重だ。

本当に危なかった。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

正義感の変質と取り返しのつかないことに関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

みんな誰かを殺したい。

めっきり減ったサスペンス劇場のサブタイトルで、
見かけるような言葉だ。

正義感が強い。

たまに言われることがある。

だが、
すぐに熱くなって、
頭ごなしに話されたら、
こっちだってブチギレる、
と言われる短慮のため、
少なくとも自分は完全犯罪を遂行することは難しそうだ。

せいぜい衝動的に殺人未遂や傷害事件を犯して、
ブタ箱行きが関の山だろう。

人間らしく生きたいのであれば、
履歴書の賞罰に罰を書きたくないのであれば、
どんなに殺したい輩がいようとも、
超えてはならない一線を常に意識する必要がある。

わざわざ相手に合わせて、
自分を安売りするなである。

人にとって取り返しのつかないこととは何か。

思い返すと、
夢見ることならめいっぱいと思うほど、
思い浮かんできて鬱になる。

時が経てば、
笑い話になると言うが、
十年経とうが二十年経とうが、
自分にとっては笑い話にならない。

季節の変わり目や体調がすぐれない時は、
悪夢を見るほどである。

そして、
思い出せないというよりも自分が自覚せず、
傷つけられた人間は幾人もいて、
相当恨まれていることだろう。

殺したいと思われるほどに。

一度「青の炎」を読んで、
人生は紙一重ということを考えてみたいと思う記事である。


(4)今後、どうするか?

・正義感は危険と隣り合わせであることを忘れない。

・「青の炎」を読む。

・人生は死んでいてもおかしくない紙一重であることを噛みしめる。


今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

まさかまさかの積み重ねが、
今を形作っている。

なきにしもあらず、
もしかしたらもしかする。

随時思い出す必要がある言葉です。


皆さんも、
正義感と人生は表裏一体の紙一重と認識して下さい。

どちらも大事である反面、
過ぎると碌なことが起こりません。

程々に控えめに、
いい塩梅になるよう、
一日一日を精一杯生きましょう。