2021年8月5日付けの
     
「北海道新聞」の記事です。
      
【矛盾に滲んだ五輪報道】


というタイトルで、
書籍編集者中野葉子氏が、
道新の五輪報道および旭医大取材記者逮捕において、
看過できない対応をしたことに関して、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 「ダブルバインド」という心理学の概念がある。

直訳すると、
「二重拘束」。

二つの矛盾するメッセージを同時に受けとり、
引き裂かれるような状況を指す。

無論、
精神的なストレスは強い。

緊急事態宣言下の東京で始まったオリンピック報道を連日読みながら、
この言葉がたびたび頭をよぎった。

 開催直前の世論調査でも中止を望む声が多く、
日本人の78%が反対という記事もあった。

中止を求める世論を顧みず、
結局、
開催に突き進んだ要因は複合的だろう。

ただし、
その一つには、
今回の五輪スポンサーに北海道新聞を含むメディアが名を連ねていることも、
影響したように思えてならない。

 道新の社説をたどってみると、
9日に前海上の無観客化を主張し、
23日は批判的には論じている。

ならば、
さらに踏み込んで、
明確に「中止」を提言する選択肢もあったはずだが、
そうはしなかった。

ジャーナリズムとコマーシャリズムのダブルバインドの下に置かれた結果、
ちぐはぐなイメージの紙面になってしまった-。

そう受け取った読者もいたのではないか。

6月下旬に連載された「感染症が問う五輪」の最終回は、
札幌市が招致を目指す2030年の冬季五輪に対して逆風が強まっているという内容だった。

札幌への招致問題をめぐり、
道新がどのような姿勢で報じるのか、
注視したい。

 五輪の裏で深刻化する格差についても、
丁寧に報道してもらいたい。

 旭川医科大学を取材中だった道新の新人記者逮捕は、
看過できない。

もちろん、
取材のためなら何をしてもいいわけではない。

だが、
旭医大は国立大学法人であり、
学長によるパワハラや不正支出などが長年見過ごされてきた。

こうした問題を徹底定期に解明するのはメディアの役割であり、
職員による常人逮捕にまで至った大学側の対応は行き過ぎだろう。

 なのに、
道新側が取材の正当性を主張できなかったのはなぜなのか。

取材のどこに問題があり、
どんな支持がなされ、
誰に責任があったのか。

道新のみが逮捕された記者を実名報道したことも不可解だ。

社内調査報告の記事は、
事実経過の説明も不十分で、
読者の疑念に応えたとは言い難い。

厳密に検証し、
説明責任を果たすべきだ。

もっとも弱い立場の新人社員を犠牲にしてしまった印象が拭えず、
組織の信頼性に影を落とす対応だったのではないだろうか。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

パブリックエディターが道新の記事に関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

全国紙朝日新聞のパブリックエディター、
地方紙道新版における私の新聞評である。

最近、
新聞には限界があると感じている。

どんな組織もそうなのだが、
どうしようもない輩が忍び込んでいると思えてならない。

投票日に白票の勧めを電子版で掲載した朝日新聞を知り、
この全国紙に関しては、
もう真面目に読まないようにしようと自分は思った。

今迄ほど熱心にスクラップはしないようにしようと、
踏ん切りがついた。

選挙特番で芸人を起用して、
不快さを公共の電波に乗せて全国に撒き散らしたTBS。

スタッフ四人に対する断罪すら期待できない。

報道特集で地上波にて唯一Dappiを取り上げたTBSも、
少しでもまともなことをしたら間を置かず落胆させる愚行を犯し、
バランスを取っているとでも思っているのだろうか。

蛆ことフジ産経や闇売りこと読売日テレの如く、
初志貫徹して権力に擦り寄る輩は論外だが、
ダブルスタンダードで常に期待を持たせて裏切る朝日とTBSのような偽善組織は、
別の意味で性質が悪い。

間を取ったテレ東はどうかというと、
池上彰による共産党を乏しめるだけの愚図番組を垂れ流していた。

NHKは維新をまともな政党というデマを平然と電波に乗せる。

池上彰とチコを断じて信じてはいけない。

さて、
今回取り上げた道新はどこに属するのだろうか

五輪オフィシャルスポンサーに地方紙なのに上位に名を連ね、
開始前は批判していたくせに、
いざ始まれば選手を賞賛して応援せよという記事を日々掲載していた。

終わったら、
またやることが間違えだったという記事を載せる様は、
ダブルバインド「二重拘束」というより、
ダブルスタンダード「二律背反」が染みわたっているのだろう。

極めつけは、
国立大学法人旭川医科大学を取材していた新人記者が常人逮捕された際に、
毅然として新聞社として抗議をせず、
新人記者を実名報道という人身御供の生贄として差し出した行為である。

7月7日の事実経過説明は、
悪いのは新人を教育していた者たちだと、
下に対する責任転嫁にしか読み取れなかった。

責任のトリクルダウン、
トカゲの尻尾切り、
読者から信じられなくなる自殺行為。

朝日新聞にもTBSにも道新にも、
日々世の不条理に怒りを燃え滾らせ、
少しでもましな世の中にしたいと思って粉骨砕身している者も、
多くは無くても存在すると思う。

ただ、
組織や上司から叩き潰される日々の中、
諦めてしまう人間も少なくないだろう。

酷いときは自ら命を絶つ者も出てくる

第49回衆院選が終わった。

反省と対策は、
野党だけではないと思えてならない。


(4)今後、どうするか?

・私の新聞評をスクラップする。

・新聞に対して意見を述べるパブリックエディターを調べる。

・「ダブルバインド」から学習性無気力の思考停止に陥らないよう努める。


今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

パブリックエディターに関する記事は、
以前も紹介しました。

新聞の限界を感じながら、
どこまでできるかを模索することが、
読者にとって必要なのかもしれません。


皆さんも、
新聞の矛盾や問題点を指摘する人たちの記事に、
関心を持って下さい。