今回紹介する記事は
2021年7月13日付けの
     
「朝日新聞」の記事です。
      
【国民審査なく判事退官 最高裁へ物言う機会 守れ】
    


というタイトルで、
政治学者西川伸一氏が、
最高裁裁判官は国民審査を受けることで民主的なお墨付きを得ており、
未審査退官は深刻に受け止めるべきであることについて、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ています。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

  ☆新聞記事の紹介について

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始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 最高裁判事の宮崎裕子氏が7月8日、
国民審査を受けることなく退官した。

定年年齢の70歳に達したためだ。

1947年に最高さが発足して以来、
これまで183人が最高裁の裁判官に就いてきた。

そのうち、
未審査のまま定年退官したのは、
宮崎氏が初めてである。

審査を受けなかった例は2人いるが、
戦後直後の事例で、
1人は「失言」を追及されて依願退官、
もう1人は在職中に病没しており、
今回の件とは性質が違う。

 私は、
この問題が国民的な関心をまったく呼ばず、
指摘したところで、
「目くじらを立てるほどのことではない」
と言われかねない状況であることに、
危機感を持っている。

 確かに、
国民審査制度は形骸化が叫ばれて久しい。

過去に国民審査によって、
罷免された最高裁裁判官もいない。

最高裁裁判官は国民審査を受けることで、
民主的なお墨付きを得ているのだ。

その意味で、
未審査退官は深刻に受け止めるべきである。

憲法による手続きの不履行が、
ほとんど問題視されていないことこそが、
まさに制度の形骸化を象徴していると指摘したい。

そもそも、
宮崎氏が未審査のまま退官することは十分に予想できたことだ。

国民審査は衆院選挙と同時に実施される。

宮崎氏は2018年1月9日に66歳6カ月で任命されたが、
今の衆院議員の任期中に当たる。

つまりこの時点で、
衆院解散が無ければ任期満了の今年10月まで総選挙が行われず、
誕生日前日の7月8日に退散になることは分かっていたはずである。

その意味で、
任命した安倍晋三一味の責任は厳しく問われるべきだ。

裁判官15人の内訳は、
裁判官出身者6人、
弁護士出身者4人、
学識経験者5人と慣例的に決まっており、
出身枠の裁判官が定年となれば、
後任は原則的に同じ出身枠から起用される。

宮崎氏は弁護士出身だ。

弁護士枠の起用に際しては日(本)弁(護士)連(合会)が候補者を最高裁に伝え、
さらに最高裁は内閣に提示するのが通例となっている。

選任に至るプロセスで、
日弁連や最高裁がもっと留意すべきだったのではないか。

 後任候補者の年齢とその時の衆院議員の任期満了日を勘案して、
たとえ任期満了での総選挙になっても、
定年年齢前に必ず国民審査にかかるようにすることは可能だ。

国民審査制度における一層の形骸化を防ぐためにも、
国民から最高裁へ物言う機会を奪わないように、
関係諸機関は今後、
この点をぜひ考慮してほしい。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

今月行われることになった最高裁裁判官国民審査に関して、
紹介された記事のため。


(3)自分はどう思うか?

日本国憲法第79条は、
最高裁判所の裁判官、
国民審査、
定年、
報酬に関して定めている。

①    最高裁判所は、
(中略)
その長たる裁判官以外の裁判官は、
  内閣で任命する。

②    最高裁判所の裁判官の任命は、
(中略)衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、
十年
(中略)
衆議院議員総選挙の際さらに審査に付し、
その後も同様とする。

③    前項の場合において、
投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、
その裁判官は、
罷免される。

④    省略

⑤    省略

⑥    最高裁判所の裁判官は、
  (中略)
  報酬を受ける。

  (中略)
  在任中、
これを減額することができない。

以上、
掻い摘んで記した。

最高法規である憲法では、
最高裁判所裁判長以外は、
内閣が任命する。

ゆえに、
弁護士資格を持つ加計学園監事木澤克之を最高裁にねじ込むことも、
法律上は問題ないのである。

法律上は…。

衆院選に伴う最高裁国民審査を経験した人なら、
誰しも経験したことがあろう。

誰しもあの一枚の用紙で、
罷免したいものに×をつけなさいという、
不可解な行為を。

この裁判官はこういう出身で、
こういう判決を出しましたとも、
紹介されていない中で、
判断しろ。

第3項で罷免可能性を定められるも、
未だかつて罷免されていない理由は、
ここにあるとしか思えない。

判断材料が乏しければ、
人間安易に×なんてつけられないだろう。

ちなみに木澤克之は、
2017年「僕難突破解散」の国民審査において、
信任を得ている。

歴史にもしもはないけれど、
今回の選挙で木澤克之が国民審査対象になり、
今年選択的夫婦別姓を認めない判決を出したと、
堂々と会場で示されていたら、
「こいつ×や!」となっていただろうか。

さて、
今回の記事は、
国民審査を受けることなく退官した最高裁判事についてである。

この問題、
既に終わったことなんだから蒸し返すなよ、
という声もあるだろうが、
焼け木杭には火をつける。

何故なら、
木澤克之でさえ国民審査対象になったものが、
今後内閣のオトモダチ関係判事が国民審査されず、
任期を終える抜け道を作ってしまったためである。

そもそも日弁連も、
木澤克之を最高裁判事弁護士枠として入れなければ、
選択的夫婦別姓判決も違ったものになったかもしれない。

終わったことにグダグダいうなという輩がいるが、
寝た子を起こすからこそ見えてくるものがあることを忘れてはいけない。


(4)今後、どうするか?

・最高裁判事国民審査の権利を行使する。

・最高裁判事国民審査に関する記事をスクラップする。

・最高裁へ物言う機会に関心を持つ。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

最高裁国民審査に関する記事は、
以前も紹介しました。

司法に関して疎い自分は、
中学社会まで戻って勉強し直す必要があると思っております。


皆さんも、
衆院選選挙において投票に赴き、
最高裁判事国民審査を行いましょう。

罷免すべき人間がわからないのであれば、
極論ですが全員×をつけるも有効だと思います。

前回の2017年最高裁判所裁判官国民審査です。

まともに情報を掲示されず、
罷免を可とする率が1割にも満たない国、
制度の形骸化を改善するのは今を生きる有権者ではないでしょうか。