今回紹介する記事は
2021年4月15日付けの
 
「朝日新聞」の記事です。
  
【癒着防ぐはずの政治主導 権力集中こそ腐敗の温床】

 



というタイトルで、
松尾陽名古屋大学教授が、
特定の集団に覇権を握らせると、
腐敗を招き寄せることは、
憲法の中に埋め込まれた歴史の教訓であることについて、
ことについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

新聞記事の紹介について

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始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 BS4Kの衛星機関放送事業者に、
認定された企業からの総務省職員に対する接待が問題となり、
武田良太は急所を自主返納し、
幾人かの幹部職員に対しては懲戒処分が下った。

懲戒処分のリスクがあるにもかかわらず、
なぜ接待を受けたのか。

2000年に国家公務員倫理法が施行されて以来、
そのような接待の規制が非常に難しくなっていることは、
十分に周知されていたはずである。

職員の慢心があったのか、
官僚の一部が官邸に近かったことや、
相手事業者側のなかに、
菅義偉の息子正剛が含まれていたことが関係するか、
核心部分はよく分からない。

少なくとも癒着を許す体質があるのだろう。

 いずれにしろ、
このような癒着が行政の公正さを歪めてしまうことは、
確かだろう。

今回の件でいえば、
外資規制違反を見逃していたことも、
歪みの一つである。

 癒着を生みやすいのがコネだ。

能力ではなくコネによって評価することは、
「縁故主義(ネポティシズム)」と呼ばれる。

血縁関係が典型だが、
縁故には、
継続的な交流によって深まる関係も含まれる。

 縁故主義は、
公務員の「全体の奉仕者」性(憲法15条2項)や、
「法の下の平等」(憲法14条)という理念にも反するだろう。

 能力をないがしろにすれば、
政治や法のパフォーマンスが下がるだろう。

また、
縁故主義が常態化されてしまえば、
人はコネばかり気にするようになり、
自らの能力を伸ばすことをあきらめてしまう。

他人から評価されなくとも、
自己を磨くことが大切だという理想論もあるが、
現実には、
社会からの評価と自尊心とを切り離すことは難しい。

かくして縁故主義は、
システムのみならず、
人間の精神をも腐らせる。

 縁故主義の厄介さは、
否定することの難しい人間の情に基づくところである。

人間はアカの他人より金銭者を優遇する傾向がある。

加えて人間は、
見えない「貸し借り」を作って生きている。

「借り」を返したいと思うのも情である(生物学では「互恵的利他主義」などと呼ばれる。)

このような情を頭ごなしに否定はできない。

 歴史を振り返れば、
縁故主義を抑制しようとする試みは、
枚挙に暇がない。

高級官僚の去勢(宦官)や聖職者の結婚禁止など、
世襲を防ぐ例がある。

 近代における制度的対応の一つが、
試験で選抜し、
法の執行を基本的任務とする官僚制、
いわゆる近代官僚制であった。

日本の近代官僚制も、
明治初期の藩閥政治と言う縁故主義を打破し、
統治を合理化するために導入されたものであり、
信頼は高度成長期あたりまでは、
比較的高かった。

 しかし、
業界団体との癒着や透明性の欠如が強く問題視され始めた。

そして、
1990年代の官僚不祥事が官僚に対する不信感を強め、
政治主導の流れが一気に加速した。

政治主導の強化は、
別の形での腐敗を呼び寄せてしまう危険もある。

民主制の下では、
政治家と支持者の間に投票や献金を通じて、
腐敗した問題が生じる危険は常にある
(このような関係は「恩顧主義」と呼ばれる)。

むしろ、
強力な権限を持った存在こそが、
群がる集団を招き寄せ、
癒着を生みだす危険性を高めてしまう。

 腐敗は特定の部分に権力が集中し、
全体のバランスが崩れるところから生じる。

そして、
一度生じてしまった腐敗は、
新たな腐敗を招き寄せる。

縁故によって動いているシステムに対して人は、
実力で挑もうとしない。

また、
傷つけられた自尊心はなかなか戻らない。

このようにして、
腐敗は全体を侵していく。

 手遅れになる前に、
腐敗の進行を食い止めるには、
全体のバランスのあり方を見直す必要がある。

立憲主義における柱の一つである権力分立論は、
そのようなバランスを重視する思想である。

もっといえば、
憲法は部分ではなく全体の構造問題である。

 省庁や官邸が偏りを生みだしていないか、
再考しなければならない。

特定の集団に覇権を握らせないという、
権力分立の精神に立ち返り、
新しい利害状況や価値観のもとで、
バランスの在り方を考える必要がある。

 政治主導であれ官僚主導であれ、
特定の集団に過剰に期待することは、
むしろ腐敗を招き寄せる。

憲法の中に埋め込まれた歴史の教訓であろう。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

縁故主義や特定の集団に覇権を握らせることは、
腐敗の温床であることについて、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

憲法第15条は基本的人権を守るための権利であり、
2項は公務員の性質を指す。

すべての公務員は全体の奉仕者であって、
一部の奉仕者ではない、
と定めている。

憲法14条は平等権であり、
法の下の平等、
貴族制度の禁止、
栄典の限界を指す。

法の下に平等、
人種・信条・性別・社会的身分または門地により、
差別されないと定める。

癒着を深める。

昭和時代、
この言葉は肯定的に使われていたことがあるらしい。

否定的な言葉が肯定的に変化している時代において、
逆行した珍しい言葉なのかもしれない。

能力ではなく、
「縁故主義(ネポティズム)」が罷り通る環境にいると、
人間の精神をも腐らせる。

環境を変えた方がいいと、
再三悩みを外部の方に相談すると、
口を揃えて指摘される理由も、
頷ける。

「恩顧主義」が、
政治家と支持者の間に投票や献金を通じて腐敗した関係が生じる危険性がある。

河井克行や菅原一秀といった、
菅義偉パワハラ側近が司法の場において証明された。

腐敗は、
特定の部分に権力が集中し、
全体のバランスが崩れるところから始まる。

立憲主義において、
権力分立というバランスを重視するのは、
過去の教訓から辿り着いた境地である。

官邸主導では、
国民の生命や健康すらまともに守ることができないどころか、
縁故主義(ネポティズム)でオトモダチと取り巻きしか守らないことが、
証明された国JAPAN。

今一度、
憲法について考えてみてもいい機会かもしれない。

松尾陽氏の記事は次回7月掲載予定なので、
見逃さないようにしたい。


(4)今後、どうするか?    

・「縁故主義(ネポティズム)」が人間の精神をも腐らせることを自覚する。

・「恩寵主義」が癒着を生みだす危険性を高めることを忘れない。

・立憲主義の権力分立論について調べる。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

松尾陽氏に関する記事は、
以前紹介しました。

縁故主義は、
システムのみならず、
人間の精神をも腐らせる。

前職と現職とも縁故主義で拾われた身にとって、
耳の痛い話ですが、
心身に支障が出ることの根拠を目にできて良かったです。


皆さんも、
権力の集中と分散に関して、
関心を持ってみて下さい。

特に、
国の最高法規である憲法に関しては、
選挙前に確認しておいたほうが良いです。

憲法は大きく人権と統治の二つで構成されます。

特に後者である国の権力を縛ることに力が注がれています。

権力を分立することや少数意見を尊重することが記されているのは、
独裁国家に成り果てた惨禍からの大いなる反省によるものです。

新聞で憲法について記されている場合は、
一度目を通していただけると幸いです。