今回紹介する記事は
2021年4月3日付けの
     
「毎日新聞」の記事です。
      
【僕もヤングケアラー SOSばんばん出していい 山崎育三郎さんインタビュー 同級生と将来の夢 支えに 介護から心が離れる空間を】



というタイトルで、
俳優の山崎育三郎氏が、
認知症を患った祖父母をこう高校時代から2年間、
在宅介護した経験について、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 僕が祖父母を介護する生活が始まったのは、
高校2年から1年留学し、
日本へ帰国したタイミングだった。

祖父母は僕が小学生の時に患った脳梗塞がきっかけで、
祖父は認知症になってうまく言葉を伝えられず、
祖母は右半身不随で車椅子生活をしていた。

僕の両親は離婚して、
母は実家の岡山県、
父は単身赴任で北海道。

3人の兄弟も留学や学校の菱栄活で、
東京の家には僕しかいなかった。

 転勤が多い父はなかなか東京におらず、
それまでは母が1人で父の良心である祖父母の介護をしながら働き、
子育てもしてきた。

母はかなり追い込まれて、
留学中の僕に
「私、
だめかもしれない」
と電話してきたこともある。

僕は祖父母の介護を決断した。

「母に比べれば、
数年なら僕1人でも大変じゃない」
と思ったのである。

 朝起きたら祖父母の朝食を作って、
一緒に食べる。

僕が投稿する時間にホームヘルパーさんが来る。

帰宅するとバトンタッチして、
ヘルパーさんが作った夕食を一緒に食べる。

祖父母の入浴は基本的にヘルパーさんが介助するが、
ヘルパーさんがいない時は僕が介助した。

 僕をかわいがってくれた祖父母は2人とも僕のことがわからなくなり、
孫ではなく、
「お手伝いをしてくれるお兄さん」のような感じだった。

一番嫌だったのは、
僕が作ったものを
「食べたくない」
と手でバッと払いのけられる時だった。

祖父がトイレに行けずに漏らしてしまったものを片付けていると、
祖父から乱暴な言葉を投げかけられて、
「じゃあ自分でやれよ」
と言ってしまったこともある。

食事のお金は僕が管理を任された。

ヘルパーさんとのトラブルは多かった。

様子がおかしいと父に、
「代えた方がいい」
と伝え、
僕がいた間で4・5人は代わった。

 介護する中で、
「何で自分がやらないといけないんだ」
という思いが湧いたことは正直、
何度もあった。

孫と祖父母の関係ではなくなってしまったことは、
すごくつらかったし、
家族がバラバラだったから。

介護をしていた時期が、
生きてきた間で一番しんどかった気がする。

 支えてくれたのは地元における中学の同級生だった。

親友3人がしょっちゅう家に来て、
一緒に夜ご飯を食べたり、
祖父母とコミュニケーションを取ったり、
祖父の体調が悪くなった時は一緒にタクシーにも乗ってくれたりした。

 「介護でしんどい状況でさえも笑えたら、
それでいいや」
と思える瞬間があった。

無理に全部完璧にやろうとすると、
自分が追い詰められる気がして。

僕は仕事を全部やめていた時期で、
歌を勉強してミュージカルの世界に戻るという目標も、
すごく力になった。

 祖父母は老人ホームに入り、
2015年に相次いで亡くなった。

いろいろな思いがよみがえり、
「もっとしてあげられたんじゃないか」
と後悔する時間があった。

 毎日新聞御ヤングケアラーの記事を読んでみて自分だなと思うし、
「僕もヤングケアラーだったんだな」
と思う。

 僕は、
自分の状況を隠したり、
恥ずかしがったりする必要はないと思っている。

自身、
人に甘えたり頼ったりして救われる部分がたくさんあったから。

 自分が力を抜ける瞬間、
介護から心が離れる瞬間を持ってほしい。

あとは周りに頼って、
SOSをばんばん出していい。

「もうだめです」
と言える強さも必要だと思う。

でも難しい問題である。

 僕の場合、
介護をしたことが何か大きな壁にぶつかった時の大きなエネルギーになった。

ヤングケアラーの人たちも、
どうにか自分が思い描く場所に行ってくれたら、
と思う。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

ヤングケアラーに対して、
たすけをもとめることはわるいことではないということに関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?
 
学生時代、
介護に関する模擬裁判政策に携わったことがある。

介護をしている嫁が、
要介護認定された姑から、
度重なる粗相の始末や暴言に対して、
ある日堪忍袋の緒が切れて、
殺害に及んでしまった事件の裁判劇である。

あれから約20年、
未成年の孫世代が祖父母を介護する時代が来るとは、
思わなかった。

自分の家族に対して、
無償の愛情をもって介護をしているにもかかわらず、
やり場のない怒りと悲しみを日々募らせていくことは、
どれほど嘆かわしいことであろうか。

「何で自分がやらないといけないんだ」

賃金をいただく仕事であれば、
ある程度は割り切ることができるかもしれない。
(度が過ぎれば勿論例外…。)

ボランティアで他人のために働き、
心ない言葉を浴びせられた時でさえ、
無力感と怨嗟の念が鬱積される。

これが、
家族間で日常茶飯事になれば、
心がおかしくなるのではなかろうか。

要介護者である舅や姑が亡くなることで、
自分が解放されたという嫁の言葉をどこかで聞いたことがある。

初めて聞いた時、
そりゃないだろうと瞬間的には思うも、
記事のような背景があったと想像できれば、
嫁の言葉の裏には、
どれほどの苦しい日々があったのかと想いをはせることはできる。

全部完璧にやらない、
力が抜ける瞬間や離れる空間をもつ、
SOSをばんばん出す。

この三つも万事に繋がることではなかろうか、
と思えてならない。


(4)今後、どうするか?

・ヤングケアラーに関心を持つ。

・完璧主義から抜け出す。

・困ったら助けを求める勇気を持つ。


今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

ヤングケアラーに関する記事は、
以前紹介しました。

著名人が問題を喚起することは、
社会に絶大な効果があります。

声を出したくとも出せない人たちに勇気を与えるため、
今後とも、
続けていっていただきたいです。

皆さんも、
困ったときはSOSをばんばん出しましょう。

命あっての物種です。

自分を大事にしましょう。