今回紹介する記事は
2021年3月22日付けの
 
「朝日新聞」の記事です。
  
【ジャーナリズム文化 読者とつながり 萎縮せず書こう】

 



というタイトルで、
立命館大学准教務根津朝彦氏が、
日本がジャーナリズム文化を育む社会になるには、
大手メディアが報道全体の危機を受け止め、
壁を超えて連携の知恵を出し合うことで、
存在感を高めながら、
各地で担い手が現れることが必要ということについて、
紹介しています。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

 日本はジャーナリズム文化を育む社会になるだろうか。

 人々の知る権利に奉仕する報道活動に社会が役割を認め、
公共財として支えようとする。

そうした関係性が、
厚みを持った文化として存在している時、
そこにはジャーナリズム文化があると言えるのだ、
と私は思う。

今ここにあるものというよりは、
創っていくものである。

読者の投稿や、
記者を主人公とした映画やドラマ、
日本新聞博物館も、
ジャーナリズム文化を育み、
支える営みである。

 しかし、
デジタル化に伴って、
ニュースは「無料」だという認識が広まるなか、
紙の新聞は部数を減らし、
苦戦している。

デジタル版の新聞で収益をあげようとしているが、
転換はまだ難しい。


がつにはオーストラリア議会が、
巨大IT企業を想定し、
ネット上のニュース表に関して、
報道機関へ対価を支払うよう義務付ける法案を可決した。

ニュースは「無料」だという潮流に、
異議を提起したものである。

 私は勤務大学で、
メディアを学びたい学生に向き合っている。

しかし、
メディアを学ぶ学生でも、
多くは新聞を読まない。

メディア環境が一変したからで、
学生に非があるのではない。

 注意を促したいのは、
メディアを学ぶ学生の間にも、
ジャーナリズムにネガティブな印象をもつ者が多いことである。

そもそも大学に入るまで、
報道のポジティブな側面を学ぶ機会が非常に少ないうえに、
SNSでは「マスゴミ」と言った揶揄にも接し、
「批判ばかりしている」
といった偏った印象を抱きやすい。

もし、
報道を担う人たちが自らのポジティブな役割を伝える努力をしなければ、
読者の自然減に拍車がかかり、
地盤沈下が激しくなるだろう。

 権力を監視し、
多様な現実を伝え、
言論の自由を指させる報道機関の存在と独立性は、
ネット時代でも不可欠だ。

私自身が学生に紹介する肯定的な事例の一つは、
パナマ文書とパラダイス文書で知られる調査報道である。

 富裕層・大企業が税逃れをすると、
その払うべき税金は、
市民が肩代わりしなければならない。

 ただ、
調査報道は手間もお金もかかり、
取材先の不正を暴くゆえに、
リスクも大きい。

その中で、
2019年にはジャーナリストたちが、
調査報道グループ「フロントラインプレス」を立ち上げ、
毎日新聞と合同取材をするなどの成果を上げている。

このような新しい集団とも、
大手メディアはタッグを組めるはずだ。

分断が強調される昨今だが、
関係者が報道全体の危機を受け止め、
企業や集団の壁を超えて、
連携の知恵を出し合えば、
ジャーナリズムの存在感を高める道は開ける。

 いま報道機関は、
政治権力と人々のメディア不信の挟み撃ちにあい、
萎縮しやすい状況にある。

報道機関の人には、
次の言葉を大切にしてもらいたいと、
私は考えている。

 「ジャーナリストは、
自分の所属するマスメディアと外圧との力関係における計量学をマスターし、
自身を持つ必要があると思う。

ジャーナリズムの幹部が、
お役所か銀行、
商社かのように、
トラブルを恐れ、
平穏な日々を夢見るようになったら、
おしまではないか」

上記の言葉は、
共同通信編集主幹を務めた、
原寿雄が『デスク日記』に書いた言葉である。

 萎縮が起きやすい状況下で、
市民にできることもある。

読者からの声こそ、
現場の何よりの励みになる。

一人の読者からの応援があれば、
その背後に何十人、
何百人と同じ思いを持つ読者が、
存在することを記者は感じられるからだ。

 つながりを深める意味では、
執筆者の素顔をもっと見せてもいい。
何より大事なのは、
読者が現場の書き手の思いや悩みを理解する機会になることだ。

もちろん、
報道する側が市民の意見・要望・提案などに、
耳を傾けるべきであるのは、
言うまでもない。

 私の担当は、
今回が最期である。

社外執筆者とは、
紙面の風通しに貢献する存在だろう。

思う存分書かせてもらえたのは、
新聞に言論の自由があるからだ。

報道の未来を考える議論が広がり、
ジャーナリズム文化を創造する担い手が、
各地で現れることを期待したい。

 1年間この欄を担当して、
最も印象深かった記事の一つは、
沖縄タイムス編集局長の与那嶺一枝さんにインタビューした記事
「あの県民大会から25年」(2020年10月21日)だ。

沖縄と県外の問題、
未だ少ない女性の編集局長を取り上げたこともそうだが、
他者の報道陣を紹介したことに、
重要性を感じるからだ。

与那嶺さんは、
沖縄での米軍による性暴力が置き去りにされていることに触れ、
「政治の世界と同様に、
新聞社も、
女性が増えていく必要」
があると指摘する。

沖縄県玉城デニー知事は先月、
在日米軍施設を約7割から約5割以下にするとの目標を議会で表明した。

与那嶺さんが、
「人々の暮らしに関わる国策のありようをチェックするのは、
ジャーナリズムの存在意義」
と語ったように、
沖縄と県外はもちろん、
国内外の多様な報道主体の間で、
連携が深まることを願う。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

ジャーナリズムに関して、
読者が現場の書き手について理解してほしいことに関して、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?

新聞の見出しで気になることが多々ある。

法政大教授上西充子氏著「政治と報道」にて、
紹介されている。

その一つとして、
「菅義偉が反論し、
野党が反発」
が挙げられる。

野党は「反発」と書くのに、
菅義偉は「反論」と書くのである。

実際の本文を読むと、
中身が全く異なる。

インターネットで国会審議を視聴すると、
どこをどうすれば、
こんな見出しをつけれるのかと思ってならない。

野党の至極まともな指摘、
答えにもならない菅義偉のしどろもどろ答弁…。

(NHKニュースになると、
見事な質問は映されることがなく、
あーうーが削られ、
さもまともに答えているように、
改竄もとい編集されたものが、
公共の電波に垂れ流される…。)

「反発」という言葉を見れば、
また野党はこんな時に、
無駄な抵抗してるのかよ、
と読者に思わせ、
読者にそれ以上読ませず、
新聞に無関心な人間を増幅させるだけである。

新聞社は、
政府・与党の尖兵なのか、
と思えてならない。

受験対策における国語では、
タイトルや見出しが重要だと、
教師や講師が口を酸っぱくして主張していたことを思い出す人は、
少なくないだろう。

「受験の国語」においては、
自分の意見はいらない、
答えは文中にある!
という言葉まで出てきたほどだ。

もちろん、
受験以外の国語では、
自分の意見を大いに持ちなさいと教えられたし、
自分は今でもそう考える。

さて、
新聞において、
これらの意味不明な言葉が、
あてがわれる理由を読者が知るには、
現場の記者に、
動画や座談会において、
語ってもらうしかなかろう。

それが叶わないのであれば、
半永久的に読者と記者の間に生じる溝は埋まらない、
ひいては深く広がるのではなかろうか。

 

朝日新聞の南彰氏や、

毎日新聞の宮原健太氏の取り組みが、

少しずつでも広がる事をねがってやまない。

朝日新聞では、
根津朝彦氏を筆頭に、
2021年3月をもって、
最後と記されている記事がある。

「社外」執筆者が思う存分書かせてもらえたのは、
新聞に「言論の自由」があるからだ、
という言葉は、
新聞以外にも当てはまるであろう。

否、
当てはめねばならない。

そのためには、
平然と規制してくる権力者に対して、
権力の弱い者達が、
「ふざけるな!」
と自分なりに、
声を上げるなり、
行動を起こすなりすることが、
求められる。


(4)今後、どうするか?    

・上西充子氏の著書を購読する。

・新聞のデジタル版購読を検討する。

・調査報道を支援する。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  

地方紙の報道に関する記事は、
以前紹介しました。

「無料」の情報はあてにならないから、
新聞を読みましょう。

さすれば、
もっとましな世の中になるはずです。

そういうお題目で、
新聞スクラップのブログを発信しております。

この記事においては、
記者と読者という肝心な双方の間にある溝について、
言及した全国紙であります。


皆さんも、
新聞社に声を自分なりに届けてみて下さい。

たかが一人の投書、
されど一人の投書。

ジャーナリズムの存在意義は、
国策のありようをチェックする、
権力を監視する、
言論の自由を守ることであります。

支えるのは、
誰でもない私たち一人一人の読者です。