今回紹介する記事は
2021年2月25日付けの
 
「毎日新聞」の記事です。
  
【関心に即応 読者と好循環 「オワコン」と呼ばせぬ「桜」報道 ウェブ報道優先 出版イベントも 民主主義の根幹 問われる今こそ】

というタイトルで、
統合デジタル取材センター江畑佳明氏が、
新聞は時代遅れで終わったコンテンツではなく、
記者が顔を見せて発信することが信頼回復に必要であることについて、
紹介しております。


(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について
(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

第20回「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」の公共奉仕部門大賞に、
統合デジタル取材センター取材班による「桜を見る会」追及報道と、
「汚れた桜『桜を見る会』疑惑に迫った49日」の出版が選ばれた。

取材班の一人として、
受賞の意味を考えたい。

 先日、
知人に
「新聞は『オワコン』だ」
と言われた。

オワコンとは、
「終わったコンテンツ」。

「新聞なんて時代遅れ。

ほとんど読まれてない」
という意味だった。

むかっとしたが、
しばらくして
「ちょっと待てよ」
と考え直した。

新聞における生命線の一つは、
スクープだ。

政治部は、
当局が伏せている事実を先駆けて報道するのは、
極めて重要だ。

また、
世に知られていない事実を掘り起こし、
いち早く伝えるのも新聞の使命だ。

なのに、
新聞「紙」の発行部数は年々減少している。

ニュースを得る手段が新聞から電子機器に移行したから、
とよく言われるが、
それだけだろうか。

伝える側の意識や価値判断が先行し、
読者の関心からかけ離れていなかっただろうか。

統合デジタル取材センターは、
2017年に発足した。

「お金を払っても読みたい」
と思われる記事を発信し、
デジタルの優良読者を獲得するのが使命だ。

取材班の報道は、
2019年11月8日の参院予算委員会で始まった。

田村智子議員(共産)は、
桜を見る会に招待されたのは、
「各界において功績・功労があった人」(内閣府の答弁)なのに、
安倍晋三の講演会から多数出席していると明らかにした。

翌日朝刊の新聞で報じられたが、
大きな扱いではなかった。

一方、
ツイッターでは、
「完全に政治の私物化」
「そんなばかなことがあるの?」
などの怒りや疑問があふれた。

その声を受け、
取材班が9日夜に毎日新聞ニュースサイトに掲載した記事が、
「『税金の私物化では』と批判あふれる『桜を見る会』 何が問題か 国会質疑で分かったこと」

質疑の詳細、
識者の談話を盛り込み、
2600字ほどになった。

これが、
「読者ファースト」
の具現化だった。

さらに、
「山口県議たち、
安倍晋三の支持者がブログを次々と削除している」
とツイッターで話題になり、
記事化した。

ネット上の情報を手掛かりにするスタイルができた。

その後、
私たちのツイッターに好意的な反応が多く寄せられ、
励まされて報道する好循環ができた。

 取材班の記事は、
ほぼ100本近くに及んだ。

紙面は物理的な制約があり、
大ニュースがあれば削られたり載らなかったりする。

紙面優先では、
読者の関心に素早く応えることは難しくなるからだ。

また、
「汚れた桜」書籍化に加え、
トークイベントも開いた。

取材班の記者が読者の前で語り、
質問を受けた。

メディア批判が強まる中、
記者が顔を見せて発信することが、
信頼回復に必要と考えたからだ。

読者とコミュニケーションを重ねることも、
今後における新聞の役割だと思う。

時々こんなことを考える。

コロナ禍の真っ最中に桜を見る会の問題が起きたら、
同じ報道をしただろうかと。

答えは「イエス」だ。

 今ほど民主主義が問われている時はない。

入院できず死ぬ人がいたり、
自由を制約する恐れのある法整備がされたりしている。

 首班が公的行事に自信の後援会員を招いて、
税金で接待するのは、
「票をカネで買う」
行為に限りなく近い。

公文書である招待者名簿の廃棄も、
国民への背信行為だ。

桜を見る会の「前夜祭」について、
安倍晋三は国会で1118回も事実と違う答弁をした。

いずれも民主主義の根幹がゆらぎかねない事態だ。

この世運問題を「ウェブファースト」で、
読者に届けられたことが、
今回の受賞につながったと考えている。

多様なデジタルツールが発達した現代社会。

なのに、

私たち新聞の感覚が、
ニュースを知るほぼ唯一の手段が報道だったころのままだったら、
新聞は本当に「オワコン」になってしまうのではないか。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

「桜を見る会」と電子版新聞の有用性について、
紹介された記事のため。


(3)自分はどう思うか?

5月3日は憲法記念日。

吐き気を催す彼奴が、
外資規制違反なのに許されるテレビ局によるBS番組に
しゃしゃり出てくるようだ。

歴代最長政権の記録を残した直後、
「正常な判断ができない」
と言って二度目の職放り投げをした反知性者。

「正常な判断ができない」のに、
改憲が必要だと声高にバカ丸出しを露呈する。

そして、
狂信者が奉りたてる。

最低限、
「桜を見る会」の明細書を洗いざらい出してからにしろ。

2020年末の全く真相が究明されなかった議院運営委員会で、
禊が済んだと思うなよと声を大にして言いたい。

さて、
今回の記事は、
毎日新聞デジタル版の良さを取り上げた記事である。

記者が顔を見せて発信することが、
信頼回復に必要と考えることは、
間違っていない。

ここではあえて、
先週掲載された朝日新聞におけるデジタル版の悪しき例を紹介する。

上記記事はその後、
断りもなく修正され、
紙面版には一切掲載されなかった。

編集委員堀江浩にとって、
信頼とは誰のためにあるのだろうか

少なくとも、
読者のためとは思えない。

デジタル版が普及しても、
作り手によって、
いつでも新聞は「終わったコンテンツ」になりかねないという、
危険性に関して、
身をもって感じた。

面倒でも読者が、
良い記事には賞賛し、
悪い記事にはふざけるなと、
叱咤激励をする必要がある。

新聞社は読者からの反応を待っているのだから。


(4)今後、どうするか?    

・新聞電子版に関する記事をスクラップする。

・桜を見る会を終わらせない。

・記者が顔を見せて発信する機会に参加する。




…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
      
毎日新聞デジタル版に関する記事は、
以前紹介しました。

記者が顔を見せて読者と交流、
記者が顔を見せて発信することで、
新聞はより良くなると思います。

皆さんも、
新聞のデジタル化に関心を持って下さい。

新聞が「終わったコンテンツ」にするのは、
読者が無関心になることです。

ほんの少しでよいので、
終わらせない努力をしませう。