今回紹介する記事は
2021年1月20日付けの
     
「毎日新聞」の記事です。
      
【「隣組を作らない」】

 



というタイトルで、
オピニオングループ小国綾子氏が、
故人である半藤一利さんを通して、
隣組を作らないために大事なのは、
百家争鳴、
恐れず話し書くことに加え、
違憲の異なる相手とも友情を育むことについて、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

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始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

作家、
半藤一利さんの訃報に触れ、
著書「B面昭和史」を手に取った。

なぜ日本は戦争に向かったかについて、
人々の暮らしからつづった「もう一つの昭和史」だ。

最初は政治家が世論を戦争へと先導した。

しかし、
『戦地』や『銃後』という言葉のもと、
協調しないものを『非国民』と呼ぶ閉鎖的な同調社会ができ、
排外的な国家主義が高まった。

途中からはむしろ、
国民的熱狂が政治家を戦争へと駆り立てた。

自由な往来があるうちはいいが、
制限されたら、
その時は危ない。

どうすれば排外主義に陥らずに済むのだろうか。

「隣組を作らないこと」

半藤さんは、
「『非常時』だと規制され始めたら、
できるかもしれない、
隣組。

日本人は他人の目を気にするし、
多数派に迎合するから」
と話す。

自粛警察や感染者差別が起こり、
「店名公表」が社会的制裁に直結しそうな現状では、
むしろリアルに感じる教訓だ。

隣組を作らないため、
半藤さんの言葉を最後に。

「大事なのは百家争鳴。

恐れず話し、
書く。

そして、
違憲の異なる相手とも友情を」


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

隣組は現代においても、
生まれる危険性について、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?
 
作家半藤一利さんの訃報により、
また一人、
貴重な戦争体験を語る人がいなくなった。

A面昭和史が
政治や軍事などの表舞台だとしたら、
B面昭和史は、
人々の暮らしから綴ったものである。

華やかな表の舞台、
血塗られし裏の世界。

21世紀になり、
明らかに表面の上澄みばかりを語る者やモノが多い、
否多すぎる。

その傾向は、
公共の電波では顕著であり、
ドス黒いものは玉石混交のインターネットを通して、
垣間見えよう。

「聖火リレー、
始まったら、
 もうやめられない」。

この言葉、
現在の政府高官が、
三日ほど前に、
口にした言葉だそうだ。

第二次世界大戦の敗戦から、
何も学んでいない国だということを証明しているのだろうか。

聖火はたびたび消えるそうだ。

この国の未来を暗示しているとしか思えない。

隣組も特(別)高(等警察)も非国民も、
いともたやすく生まれる土壌が形成されている中、
我々にできることは百家争鳴、
学者・論客がめいめいの立場から自由に自分の意見を発表し、
論争することである。

話すのが難しければ、
書き続けるべし。


(4)今後、どうするか?

・閉鎖的な同調社会では、
 排外的な国家主義が高まることを知る。

・国民的熱狂に乗らない。

・恐れず話し、
 書き続ける。


今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

短いながらも、
的確に現状を指摘した記事であります。


皆さんも、
隣組を作らないためにも、
自由に自分の意見を発表して下さい。

論争できなければ、
書き続けるだけでもいいです。

余裕があれば、
異なる意見に耳を傾ける包摂力を持ちましょう。