今回紹介する記事は
2020年8月30日付けの
     
「毎日新聞」の記事です。
      
【BC級戦犯の戦後史 黒塗りでは忘れられる】

 



というタイトルで、
ノンフィクション作家梯久美子氏が、
戦争報道がほとんど取り上げることのない、
B級戦犯及びC級戦犯について、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

毎年夏に、
どのようなテーマと切り口で、
戦争の報道がなされるか注視しているが、
近年ほとんど取り上げられることのないテーマがある。

BC級戦犯のことである。

先般とは戦争犯罪人のことで、
A・B・Cは犯罪の内容による分類
(Aは平和に対する罪、
Bは通例の戦争犯罪
Cは人道に反する罪)
である。

いわゆる東京裁判で裁かれたA級戦犯については、
研究および取り上げられることも多いが、
BC級戦犯については、
若い世代では聞いたことさえない人がいるのではないだろうか。

東京裁判は1948年11月12日に判決が言い渡された。

しかし、
BC級戦犯裁判は終戦後6年近くにわたって行われた。

最後温処刑が行われたのは1951年6月、
ニューギニアのマヌス島。

最後の服役者が釈放されたのは、
終戦から実に13年後の1958年12月だった。

日本国内で開かれた法廷は、
米国が裁いた横浜のみ。

そのほかの裁判はすべて国外で行われ、
被告は戦勝国のそれぞれ違った軍法によって裁かれた。

不正確な調査や証言をもとに、
弁護も十分でないまま裁かれた例も多い。

「世紀の遺書」によれば、
刑死した戦犯908人のうち901人がBC級だった。

形式ばらずに率直な思いを記しているのは、
帝国陸海軍の末端にいた若い人たちである。

「母さんに会ひたい、
やさしいなつかしい母さんに五分間でもよい、
もう一度だかれて見たい、
話したい、
一度でいいから。

(中略)

我々如き者がなぜ閣下やえらい人と同じ様に敗戦のぎせいにならなければならないのか」
(陸軍軍属 荻野宗光 マニラで刑死)

軍属とは、
軍に所属するが戦うことが任務ではない人たちをいう。

BC級裁判の被告になった軍属は、
南方の捕虜収容所に監視員として勤務し、
上官の命令に従って虐待や殺害行為を行った人たちも、
重い刑を科されている。

軍人だけでなく軍属にも私刑となった人々がいることは、
あまり知られていないが、
その中に、
朝鮮半島出身の趙文相という人がいる。

シンガポールのチャンギで刑死したが、
処刑直前まで手記を描き続けた。

「人生最大の苦しみだ。

この部屋を出るまでだ、
それももう八分は済んだ。

あと二分だ、
俺よ!

がんばれ」

BC級戦犯裁判の被告となった朝鮮半島出身者は148人。

ほとんどが捕虜監視員だった。

死刑になったのは23人である。

戦犯裁判では、
朝鮮半島や台湾の出身者も日本人として裁かれたが、
戦後、
日本人の元戦犯や遺族に行われた補償については、
対象外とされた。

死刑を免れた韓国人のBC級戦犯・李鶴来氏は、
50年にわたって日本政府に補償を求めてきたが、
実現していない。

趙さんと同じ日に処刑された金長録さんが前夜に漏らした言葉が、
書き留められている。

「あの世でまさか朝鮮人とか、
日本人とかいふ差別はないでしょうね」

BC級戦犯についての報道が少ないのは、
裁判資料の入手が難しいためもある。

長く非公開だった法務省の裁判資料が、
99年に国立公文書館に入り、
開示請求ができるようになった。

私も取材中だった裁判の資料を請求したことがあるが、
開示はされたものの、
多くの部分が墨塗りになっていた。

このままではいつしか忘れられてしまうおそれがある。

メディアが8月に取り上げるテーマは、
ほぼ定番化しつつある。

戦後の日本が直視せずに来た問題についても積極的に取材し、
伝えるべきであると思う。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

BC級戦犯の戦後史について、
紹介した記事のため。


(3)自分はどう思うか?
 
極東国際軍事裁判で裁かれたA級戦犯は日本史で習った。

被疑者として数えられるも、
不起訴になり、
この国の首班となった岸信介もA級戦犯候補であった。

さて、
A級があるなら、
B級やC級は無期懲役や何十年間も牢屋に入れられていたんだろう、
程度に自分は甘く考えていた。

BC級戦犯裁判は、
終戦後6年近くに渡って行われ、
米国が裁いた横浜裁判以外は、
戦勝国それぞれの軍法で、
不正確な調査や証言をもとに、
弁護も十分でないまま裁かれた例が多いとは、
何と恐ろしいことか。

「世紀の遺書」によると、
刑死した戦犯908人のうち901人がBC級戦犯。

遺書に書かれる率直な思いをこの記事で初めて知った。

こういうことを義務教育期間から学ばせにゃああかんだろ!
と声を大にして言いたい。

何故法務省は長期間非公開にし、
国立公文書館は開示請求されても、
墨塗りののり弁当で出すのだ。

国民に知られたくない、
というのが本音ではなかろうか。

この国の弱さや醜さ、
過去の汚点を隠してなかったことにする。

ご先祖様が子孫に求めていることは、
本当にそういう姿勢なのだろうか。

見たくない・聞きたくない・信じたいものしか信じない。

もうそれでは通用しない段階まで、
この国は来たのではなかろうか。


(4)今後、どうするか?

・BC級戦犯の記事についてスクラップする。

・戦争における手記に関する本を読む。

・直視せずに来た問題について取材した記事を応援する。


今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

平和に対する罪のA級戦犯、
通例の戦争犯罪のB級戦犯、
人道に反する罪のC級戦犯。

若い世代ではないのですが、
BC級戦犯について無知だった自分が恥ずかしいです。

マニラで刑死した軍属の遺書は、
生々しくあるも、
今を生きる者達が一人でも多く知らねばならぬものであります。

皆さんも、
「温故知新」をもとに、
過去を知り未来を考える取り組みをしましょう。

見たくない・聞きたくない・信じたいものしか信じないでは、
前にも上にも進めません。

状況を打開するには、
新聞や読書に触れてみましょう。