今回紹介する記事は
2020年8月26日付けの
 
「朝日新聞」の記事です。
  
【首班とコピペ 浪花節が流れたら限界?】

 



というタイトルで、
編集委員高橋純子氏が、
ナポレオン三世やブッシュ元大統領を例に、
コピー・アンド・ペーストを繰り返しているうちに、
とんでもないことが出現することがある危険性について、
紹介しております。

(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について

(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて


(1)内容の要約

ぼくのともだち

あきらくんはいつもぼくのみかたです。

ぼくがじぶんではあまり、
いえないこともいってくれます。

「せきにんかんがつよくてやすむことがつみだといういしきまでもっている」
なんて、
あまりにろこつなおせじはこそばゆいです。

てへ。

あきらくんは4ねんまえ、
ようかんといっしょにおかねをもらったぎわくでだいじんをやめ、
やく4かげつこっかいをやすみました。

あのとき、
ちゃんとしらべてあとでせつめいするといっていたけどしていません。

あまりにもむせきにんなところはぼくとにています。

だいじなともだちです。

夏休みの宿題の作文を勝手につらつらつづってしまった。

しかし、
実質はともかく、
147日間休まず疲労の色濃き首班に、
「実をとして逆境に立ち向かうヒーロー」
のごとき化粧を施す作戦を明君や太郎君らオトモダチは、
そろり進めているように見うけられる。

浪花節説が流れるようになったら、
政権はそろそろ末期、
もろもろ限界―ごくごく私的な経験則である。

冷たいようだが、
政治家は結果に責任を負わねばならない。

147日間がかくも吹聴されるのは、
自信がないからではないか。

自信があれば堂々と休めるはずだし、
休むべきだし。

だけども、
憲法に基づく国会要求には応じない。

記者会見もしない。

たまに口を開けばコピペ、
同じフレーズの使い回し。

残念だけど、
話にならない。

8月×日(晴れ) 緊張感をもって注視しました。

夏休みのもう一つの宿題、
観察日記はこれを連日コピペすればよし。

楽勝だ。

8月6日の広島と9日の長崎、
二つの原爆忌における首班のあいさつが酷似している、
コピペではないかと、
毎年恒例となりつつある「騒動」に触れ、
かつて月刊誌の編集部にいた時に担当した、
コピペの功罪を考える特集を思い出し、
読み返した。

杉田敦・法政大教授は、
第1次安倍政権発足からの3カ月間を踏まえて、
岸信介の孫であることが強調され、
小泉純一郎の後継イメージをふりまき、
「コピー」の性格が色濃く、
印象が薄いと指摘していた。

その年の9月、
突然辞任を表明する。

国会での所信表明演説からほどなくのこと、
驚きと怒りが社会に巻き起こったが、
翌日入院し、
同情論が広がった。

「政権放り出し」
という究極の無責任を同情で薄めて、
やすやすと飲み下してはいけなかった。

それから5年3カ月後、
返り咲いた。

13年前の杉田さんの論考は、
されどコピーを侮ってはいけないと警鐘を鳴らし、
結ばれている。

19世紀フランスでは、
ナポレオンの甥であることだけを売り物に登場した、
ナポレオン3世が猛威を振るったし、
ブッシュ米大統領がイラク戦争を泥沼化させたのも、
父ブッシュに対する強いコンプレックスから、
父のコピーではないことを証明しようとしたのだとも言われている、
と。

「『コピー・アンド・ペースト』を繰り返しているうちに、
とんでもない者が出現することがあるのです」

一昨日、
歴代在職日数歴代最長として、
「安倍晋三」の名が歴史に刻まれた。

無様な格好に終わった第1次政権のコピーではないことを証明しようとした2799日だったのかもしれない。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

コピー・アンド・ペーストが生み出す悪しき副作用について、
紹介された記事のため。


(3)自分はどう思うか?

ぼくのともだちという、
夏休みの宿題作文が、
平仮名と数字だけで書き連ねられており、
切り取ったのである。

説明すると言って、
何年間も説明しない甘利明や下村博文が、
要職についている時点で、
自由民主党とは一体誰のために働いているのか理解できない。

そして、
最高法規に基づく国権の最高機関を開かない、
記者会見もしないでぶら下がり取材だけ応じる、
口を開けばコピペと同じフレーズの使い回しで、
綺麗な日本語をことごとく汚し破壊し続ける。

広島と長崎におけるあいさつ文のコピペ騒動は、
整合率九割以上と、
火曜サスペンス劇場の警視庁鑑識班による指紋照合一致シーンを髣髴させる事態に、
事実は小説より奇なりという言葉が思い浮かび、
被爆地の方々における心中を慮ると落胆しか見いだせない。

そして葉月下旬に、
二度目の「政権放り出し」をして、
二度目の同情論が湧き起こる様を見ると、
この国の民は何とおめでたいんだという、
冷めた感情に身を包まれた。

ナポレオン三世については、
歴史の教科書で触れたことがある。

ブッシュ息子は、
イラク戦争を泥沼化させた暗君として、
記憶に残っている。

両者とも、
超えることのできない伯父や父の影を追い、
自分は違うと証明せんがために、
身の丈に合わない愚行を繰り返し、
退場していった。

度量という言葉を思い出す。

自戒のためにも、
できることとできないことを見直したい。


(4)今後、どうするか?    

コピー・アンド・ペーストの弊害を認識する。

身の丈に合わないことは、
必ずどこかに支障をきたすことを噛み締める。

同情論に流されない。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
      
政治家は病気を患ったと言って入院すれば、
説明の約束を反故にしても、
同情論で許される。

あきらくんやぼくの成功体験をもとに、
今後も真似をする輩が出てくるでしょう。


皆さんも、
コピー・アンド・ペーストを繰り返すうちに、
とんでもない者が出現する危険性を認識して下さい。

自らの言葉で語る大切さが、
きっとあなた自身を守る日が来ることを願います。