今回紹介する記事は
2020年7月9日付けの
     
「朝日新聞」の記事です。
      
【新聞の既視感 その正体 データで見えた 取材先の偏り】

 



というタイトルで、
国立情報学校研究所と総合研究大学院大学の教授である新井紀子氏が、
新聞は読んで判断するのはあくまで読者であり、
先入観なく取材してほしいことについて、
紹介しております。

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)
 

  ☆新聞記事の紹介について


(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)

始めに読んでほしいブログについて

 



(1)内容の要約

街頭インタビューには定位置がある。

高級デパートの買い物袋を抱えたマダムに、
「消費増税をどう思うか」と尋ね、
「年金暮らしだから困る」というコメントを取っても、
高齢者を代表する声とは言い難い。

だが、
上司の号令を聞くと、
定位置に向かってしまうのかもしれない。

朝日新聞の紙面が、
「何だかおかしい」
と感じることが増えた。

「前に読んだような気がする」
という妙な既視感が漂う。

「そういう時には、
内容に着目するよりもまず数えてみるといい」
とある人か教わった。

新聞デジタルの検索サービスにキーワードを入力し、
数えてみた。

まず検索してみたのが、
よく登場する気がする私立開成中学・高校の柳沢幸雄前校長の登場回数は、
8回である。

では、
同じく私立神学校である男子校の武蔵や麻布、
女子高の桜蔭といった校長はどうかというと、
武蔵は2回、
麻布や桜蔭はゼロ回だ。

当の東京大学の五上真総長には、
この間独自にコメント取った記事はほぼないようだ。

開成以外には、
都立日比谷高校の武内彰校長(6回)や、
静岡県立高校の国語教師である駒形一路氏(5回)の登場回数が、
目を引く。

柳沢校長と並び最多だったのは、
都立白鴎高校・付属中学の善本久子校長(8回)だった。

今年の登場記事(5回)を改めて読んでみた。

すべて同校のオンライン教育を紹介する記事で、
同じ記者の署名が入っている。

なるほど、
既視感が漂うはずだ。

ZOOMというテレビ会議システムを使った同校の授業を肯定的に紹介した。

一方で、
オンライン学習は公立校出遅れが目立つとし、
批判的に報じた。

全国の大学では否応なしにオンライン指導が導入された。

一大学教員の実感としては、
メリットよりデメリットの方が圧倒的に大きい。

オンライン授業の中で萎縮せざるを得ない生徒の声を掬い取ってほしかった。

さて、
今回、
型よりはたまたま教育面で発見された。

しかし、
これは氷山の一角だろう。

取材先と記者が固定すれば偏りは避けられないと考え、
斜として防止策を講ずるほうが良い。

人間の手ではチェックできていないならば、
AIの出番だ。

私は、
「検索窓に入力して一つずつチェックする」
という原始的な手法を取った。

だが、
AIを使えば、
朝飯前だ。

車内で取材先の頻度を可視化し、
ルールを設ける。

繰り返し同じ取材先を使う際には、
記者に必然性の説明を義務付ける。

そうすれば
偏りはおのずと解消されていくだろう。

日常の中で私たちが知り得ることは、
絶望的に限られている。

だからこそ、
新聞には、
手に余る巨大な世界を公平な立場でようやく整理してくれることを期待する。

賛成反対どちらかに肩入れするのでも、
安易な「両論併記」でもなく、
先入観なく取材してほしい。

読んで判断するのはあくまで読者だ。

新しく聞く、
と書いて新聞、
と小学校で教わった。

名に恥じない体を期待したい。


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

根拠とデータを添えて、
全国紙の取材先における偏りを指摘した記事のため


(3)自分はどう思うか?
 
前回の朝日新聞自虐記事に続いて紹介すると、
自分は朝日新聞に対して、
何かしらの恨みでもあるのかと思われているかもしれない。

個人的には、
自らに対しての批判を堂々と載せる新聞が、
朝日新聞くらいしか見当たらないので、
取り上げているだけである。

変な感じを解読するには、
「内容より実際に数えてみるといい」
という教えは、
荻上チキ氏の分析記事を思い出す。

にわかにデジタル万歳と騒ぐ者たちが、
デジタルの何たるかもわかっていないと思う話は横に置き、
極めてアナログ的な手作業や原始的手法が、
功を奏することは、
誰しも一度は経験しているのではなかろうか。

オンライン授業の負の面は、
音声や画像の乱れによる苦情の山に始まり、
生徒達のプライベート空間が映し出されることにより、
本来知られたくもない格差を意識させてしまったことなど、
多岐にわたる。

残念なことに朝日新聞は、
上記の陰部分を記事としてほとんど紹介せず、
オンライン指導の光部分のみを喧伝してしまったのである。

同じ取材先を何度も繰り返し使って…。

可視化やルール設定、
繰り返す際の説明責任を義務付ける。

今の時代に求められることが、
新聞社でさえ出来ていないことが、
証明された分析であることが素晴らしい。

今月の記事で、
7年8カ月も続いた長期政権の総括について、
わざわざ御用記者の意見をぶち込み、
安易な「両論併記」に逃げたことに愕然としていたので、
この「両論併記」の問題を紹介してくれたこともありがたい。

極めつけは、
新しく聞く、
と書いて新聞、
と小学校で教わった。
である。

自分もそう教わった。

朝日新聞は名に恥じない体をなすかどうか、
読者が見定める必要がある。


(4)今後、どうするか?

おかしいと思ったら、
まず数えてみる方法を導入する。

極めて原始的なアナログ手法が、
活路を見い出すことを常に意識する。

朝日新聞の記事を毎週必ず読む。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

朝日新聞がここまで自らに対して批判的な記事を載せるのは、
今年に入って少なくとも三回は目にしています。

時代錯誤の酷さが露呈しているのか、
旧態依然から変わろうとしているのか、
それは読者が判断することと思われます。

新井紀子氏に関する記事があったら、
再びスクラップにしようと思います。


皆さんも、
既視感を感じたら、
まずは手作業で数えてみては如何でしょうか。

アナログや原始的手法が、
思わぬ発見や突破口を切り拓く礎となるやもしれません。