今回紹介する記事は
2020年2月18日付けの
 
「北海道新聞」の記事です。
  
【小樽保存運動を著書にまとめた法大教授 小樽に恩返し】

 


というタイトルで、
法大教授堀川三郎氏が、
1973年から84年まで続いた小樽運河保存運動について、
33年にわたる現地調査の成果をまとめた著書が、
日本都市計画学会などから各賞を受賞したことについて、
紹介しております。


(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 ☆新聞記事の紹介について 


(1)内容の要約

1973年から84年まで続いた小樽運河保存運動。

33年間にわたる現地調査の成果をまとめた
著書「町並み保存運動の論理と帰結」(東京大学出版会)
は、
日本都市学会、
日本都市社会学会、
日本都市計画学会の各賞を受賞した。

米国出身で東京育ちの堀川三郎氏は、
「高校時代、
ミクロとマクロの視点で物事を見られる社会学に傾倒した。

専門の社会学以外における学会からも、
賞をもらえるとは。

これで小樽の人たちに顔向けできるとの安堵もある。」
と話す。

中央大1年だった1984年、
「市民運動の現場を知れば大学の授業が面白くなる」
と思い、
テレビ局記者だった11歳上の兄による紹介で、
小樽を訪問。

運河保存を巡り、
行政と市民が対立する様子を間近にし、
「きちんと分析しなければ」
と心動かされた。

以来、
小樽での調査は計47回に及んだ。

「数を重ねることで真相が見えてくる」

保存運動の中心人物達の聞き取りを続け、
つっけんどんに見えた小樽市民への印象は、
「情に厚い」と変わった。

著書は2018年12月に刊行。

500ページ近い大作で、
論争が長期化した理由を
「市側と保存運動側の都市開発を巡る発想が異なっていたため」
と記した。

3月末には欧州で、
英語版が出版される。

現在も年に数回小樽を訪れ、
町並みの変化や観光開発の行方について、
調査を続けている。

「また本を出し、
小樽に恩返ししたい」
と話す


(2)なぜこの記事を切り抜いたか    

小樽運河保存運動に関して著書が出ていたという記事のため。


(3)自分はどう思うか?

小樽といえば、
代名詞の一つが運河である。

かつて運河を無くすか存続させるかで、
行政と市民が対立していたと聞いたことがある。

現在の運河は、
半分ほど埋め立てられた状態であり、
もしかするともっと広かったかもしれないし、
運河時代無くなっていたかもしれない。

著者堀川三郎氏が、
小樽生まれで小樽育ちという、
生粋の小樽人ではなく、
米国生まれ東京育ちで、
専門の社会学以外の学会からも賞をもらったところに、
関心がある。

外部の目、
第三者的見解というものが、
いかに大事かということを証明しているのではないか。

加えて、
つっけんどんに見えた小樽市民への印象が、
数と時間を重ねることで、
「情に厚い」と変わったことは、
時間と繰り返しの愚直なコツコツ継続が、
万事において最強であることを示唆しているのではなかろうか。

言うは易しだが、
数にして47回、
時間にして33年間、
行うは難しである。

著書は欧州で英語版が出版されるとのことで、
小樽の歴史が世界に広がるとのことである。

保存運動の歴史は、
小樽市にとっても本運動側にとっても、
栄光の軌跡ではなく、
よそさまにお見せするのが恥ずかしい争いかもしれない。

されど、
その過程が公開されることで、
目にする世界の人々にとっては、
未来に対する指標になるかもしれぬのである。

ゆえに、
著書にまとめた堀川三郎氏の功績を評価したい。


(4)今後、どうするか?    

著書「町並み保存運動の論理と帰結」(東京大学出版会)
を図書館で閲覧する。

堀川三郎氏の後援会があれば参加する。

数と時間を重ねることが、
最強であるという愚直にコツコツを継続する。


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。
  
500ページ近い著書の目次には、
 札幌を恨む都市という章があり、
小樽生まれ札幌育ちの自分は、
知っておいた方がいいのではと思えてなりません。

小樽生まれ小樽育ちではなく、
米国生まれ東京育ちの著者が、
33年間かけてまとめた著書が、
外部や第三者の見識が、
いかに重要なことかを訴えているように、
思えてなりません。


皆さんも、
故郷の郷土史に関する著書がありましたら、
是非調べてみて下さい。

それが第三者が書いたものであれば、
なおのこと調べてみる価値があると思われます。