今回紹介する記事は
2019年11月22日付けの
  
「朝日新聞」の記事です。
   
【『自立』なき国の五輪 自ら決めて行動を おかしなこと多い 新たな理念描き 変わるチャンス】

 


 
というタイトルで、
元サッカー日本代表監督岡田武史氏が、
スポーツの祭典に求めることは、
競技場の建設でも、
金メダルでもないと考えることになった経緯について、
紹介しております。

 

いつもどおり、
「4つ」の視点でこの記事を見ています。
 
(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 

 新聞記事の紹介について

 


(1)内容の要約

 

東京五輪開催をめぐる混乱が続いている。

 

東京都や大会組織委員会は、
自分たちの意思をはっきりというべきだったと思う。

 

ラグビーは試合が始まると、
監督はスタンドにいるので、
主体的に判断してプレーするため、
選手に判断が任せられる。

 

サッカーは、
主体的にプレーできるやつはいる、
何人かは。

 

外からたたかれて、
その後に開き直る外圧のおかげで、
2010年大会はベスト16になった。

 

反発心で出る主体的な力は短期間では効力があるけれど、
長続きしない。

 

本来は、
自らの勝ちたい、
勝つことが楽しいという内発的欲求で、
力を出せるようなことが真の自立だと思う。

 

子どものサッカーを応援する親の態度が、
日本とドイツでは全然違う。

 

特に負けた後が違う。

 

日本の母親は、
『あんたなんであそこであんなことしたの』

と、
悪かったところを悔しがる。

 

ドイツでは、
負けて帰ってきた子供を負けて帰ってきた子供を

『良い試合だった!』

と抱きしめるわけ。

 

勝つために全力を尽くすことが大事で、
そのうえで負けることは悪いことじゃないと。

 

だから子どもも、
勝つために主体的に判断してプレーするのではないか。

 

通信制の高校が人気だが、
学校にいけない子が、
本当に社会の落ちこぼれなのか。

 

落ちこぼれではなく、
優秀すぎたり何かに特化したりして自分の生き方を選択している、
上からの『ふきこぼれ』であって、
社会の方が適応できていないのではないか。

 

日本人が自立できないと思うのは、
一度も市民革命を経験していないから、
とよく言われるのは頷ける。


『お上に従っていたら間違いない』というのが染みついている。


自分たちで勝ち取った民主主義とか、
自由とかという発想がないから、
命令された仕事をこなすようになる。


仕事なんて自ら探すべきだ。


今の日本で、
自分たちで何かやっているという実感を持てる人って少ないんじゃないか。

 

日本のサッカーは、
『子どものときは教えすぎず好きにやらせろ』と言っておいて、
高校生になると、
いきなりチーム戦術を教え込まれる。


だから言われたことはできるけど、
思い切った発想が出ない、
自分で判断できないと言われるのではないだろうか。


そうじゃなくて、
原則みたいのを16歳までに教えて、
あとは自由にする。


そうしたら、
自立した選手がでてくるんじゃないかと思っている。


なぜ、

そこまで自立を求めるかというと、
この国にはリーダーではなく、
自分で決めて自ら行動するような自立した国民が必要と感じるためである。


ところが同調圧力なのか、
何かに従っている方が安泰で、
とがったことはしない方がいいという雰囲気になっている。


パワハラがなくならないのも、
自立していないからだと思う。


言いなりの方が短期的にはいい結果が出る。

 

どう考えてもおかしなことがまかり通るくらい、
人が自立していない。

 

おかしなことが、
まかり通っている。


たとえば日本って今、
主要国の中で最悪水準の貧困である。

 

それなのに、
みんな関心がない。

 

その場しのぎの経済政策をやれば、
文句を言わないという国民が増えている。

 

『日本人は素晴らしい』という本が書店に並んでいるけれど、
日本人の多くは自分の生活が来週、
どうなるかで頭がいっぱい。

 

経済効果や国威発揚ではない、
新しい価値を社会にもたらすんだという理念を持つべきだ。


心の豊かさのように、
目に見えないものを社会にもたらそうということかな。

 

人を育てることや、
信頼といった目に見えない資本が経済を回す時代が来ていると思う。

 

FC今治の会長という経営者になって初めて気づいたことがあった。


稼ぐことだけに振り回されず、
人間らしさを取り戻したい人が住み着く地域、
街づくりをしたいと思うようになった。

 

五輪をきっかけに自立なんて、
スポーツ関係者が主体性をもてないのに、
ちゃんちゃらおかしいと言われるかもしれない。


少なくとも、
選手が社会を直視し、
おかしいことを伝えることはできると思う。


自国第一主義が幅を利かす中、
FC今治では、
韓国や中国の小中学生を招待して大会を開いている。

 

勝って負けて真剣に一緒にプレーすると、
翌朝に中国人が韓国人と日本人に声をかけて、
散歩するようなことが起こる。


『絆』とか『つながり』ができるような活動ができれば、
影響力は大きいと思う。

 


(2)なぜこの記事を切り抜いたか 

 

自立なき国について、
サッカー指導者としても、
一線を画している元代表監督が問いかける記事のため。

 


(3)自分はどう思うか?
 
育成年代における親と指導者のマインド(精神)が、
世界基準とかけ離れている。

過程を重視するドイツに対し、
結果至上主義が根付く日本では、
育成年代同士で勝負すると、
日本の方が勝率は良い。

 

されど、
成人以降になると、
この状況が、
いとも鮮やかに逆転するのは、
周知の通りであろう。

 

勝つために全力を尽くすことが大事で、
そのうえで負けることは悪いことじゃない。

 

トライアンドエラーというチャレンジが許される場数、
決められたことを守らないことは許されないと刷り込まれたか否か、
大人が子どもをどう育てるか。

 

育成については、
協会が機能しているとはほとんど思えず、
育成年代のフットサル指導者が発信する指導論に、
関心がある。

 

さて、
一度も市民革命を経験していない、
お上に従っていたら間違いないという考えが、
骨の髄まで染みついている国民は、
もう、
怒っていい、
下品でいい、
叫んでいいのではなかろうか。

 

パワハラがなくならないのも、
おかしなことが罷り通るのも、
怒らず、
上品ぶり、
叫ばないからではなかろうか。

 

五輪が今年開催されなくなり、
緊急事態宣言で国民が自由に動けない今、
国民は現状と行動を考える時なのではなかろうか。

 


(4)今後、どうするか?

 

・日本と海外のスポーツ育成における記事を読む。

 

・自立に関する本を読む。

 

・怒ること・下品であること・叫ぶことを悪いと考えないようにする。

 


…今回も自分の勉強がてら、
まとめてみました。

 

元日本代表監督であるも、
JFA(日本サッカー協会)と一線を画す岡田武史氏の指導は、
子どもたちを間違っても、
「サッカー馬鹿」にさせないと感じます。

 

FC今治より社会を直視し、
おかしいことを伝える選手が、
出てくることを望みます。


皆さんも、
コロナウイルスにより、
本業のスポーツができない選手たちが、
どのような情報発信をするのか、
見定めてみて下さい。

 

勝つために全力を尽くすことが大事で、
そのうえで負けることは悪いことじゃないという考えが、

少しでも広まることを願ってやみません。