今回紹介する記事は

20181214日付けの

                              

「北海道新聞」の記事です。

  

【道徳の教科化】

というタイトルで、

京都造形芸術大教授寺脇研氏が、

各自核論に価値観押しつけを危惧し、

保護者に道徳の授業をチェックしていただきたいという話しについて、

紹介しています。

 

つもどおり、

「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。

 

(4つの視点についてはこちらをご覧ください)

 https://ameblo.jp/otaru10teine20jouhou30/entry-12504795390.html

 

(1)内容の要約

 

20184月より小学校、

20194月から中学校で道徳が、

「特別の教科」と位置づけられ、

文部科学省の検定した教科書が使われるようになった。

 

「道徳の教科化」を協力に推進したのは、

安倍晋三政権である。

 

2007年の第一次政権に、

「教育再生会議」が教科化を提言するも、

当時の文部科学省の慎重論が見送られた。

 

しかし、

2012年第二次政権になるや否や、

首相側近の下村博文が文部科学大臣になると、

教科化に異様なまでの情熱を注ぎ始める。

                              

これまでの文部科学省は、

価値観の押し付けにならぬよう、

「考え議論する道徳」にしなければならないと、

公式説明してきた。

 

ところが、

現実に行われている授業は、

教科書をそのまま使って、

文字通り「教科書通り」の価値観を子どもたちに押し付けている。

 

そもそも、

教科書が押し付け構造になっているのだ。

 

詳細は拙著「危ない『道徳教科書』」をお読みいただきたいが、

教科書は優等生的結論に導こうとする。

 

しかも、

「犠牲の精神」を強調する「星野君の二塁打」、

一方的にわがままは悪と決めつける「かぼちゃのつる」など、

首をかしげたくなるものも少なくない。

 

「考え議論する」授業を作る手間を惜しんでは、

子どもの心を型にはめてしまう。

 

保護者の皆さんは、

お子さんの教科書に目を通してほしい。

 

地域の大人の皆さんも含め、

どんな道徳の授業が行われているかをチェックしていただけないだろうか。

 

そうしないと今、

道徳教育が危ない。

 

 

(2)なぜこの記事を切り抜いたか

         

今、

日本の民主主義が全く持って同等の記事のため

 

 

(3)自分はどう思うか?

 

教育は、

国の力の源である。

 

教育関係者は、

自由な選択肢があるのに、

わざわざ押し付け構造教科書を使うという、

楽な方を選んで、

子どもたちに価値観を押し付けている。

 

子どもは、

将来の国を担う人財である。

 

保護者及び地域の大人の皆さんは、

今一度お子さんの道徳教科書を読んでいただきたい。

 

犠牲の精神を強調する「星野君の二塁打」、

一方的にわがままを悪と決めつける「かぼちゃのつる」、

そして…20185月にインターネット上で話題となった、

光文書院道徳の教科書(小2)において、

「『ごほうび(ここはまぁ分かる)』を『いただかなくても(何故か謙譲語)』、

『しごと(何故か掃き掃除などとは一言も言っていない)』をつづけたい。」

と言うポンタ君。

 

大手メディアは全くもって報じない。

 

私たちは、

次の世代に選択肢を選ぶのではなく、

作ることを教えていく必要があるのではなかろうか。

 

 

(4)今後、どうするか?

 

寺沢研氏著「危ない『道徳教科書』」を購読する。

 

身近な人と道徳教育について、

情報を共有する。

 

教育関係の知人にはなしをきいて

 

 

今回も自分の勉強がてら、

まとめてみました。

                                 

子どもは将来の財産です。

 

「この道しかない」

ではなく

「仕方はいくらでもある」

という例示をできるだけ与え、

実際に自分たちで考えて、

選択させて、

それは正しかったか否かを吟味させることが、

重要ではなかろうか。

 

 

皆さんも、

機会がありましたら、

図書館で道徳の教科書を手に取ってみて下さい。

 

「仕方ない」ではなく、

「仕方はいくらでもある」のであり、

どんな手があるか考えてみてはいかがでしょうか。