今回紹介する記事は

2018125日付けの

                               

「毎日新聞」の記事です。

  

【開かれた新聞委員会から】 

というタイトルで、

評論家荻上チキ氏が、

自己責任について、

そもそも論を語ることが重要である、

と語る話を紹介しております。

 

いつもどおり、

「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。

 

(4つの視点についてはこちらをご覧ください
https://ameblo.jp/otaru10teine20jouhou30/entry-12504795390.html

 

 

1)内容の要約

 

そもそも人はなぜ、

「被害者」をバッシングするのだろうか。

 

二つの観点を紹介する。

 

一つ、

「公正世界仮説」という概念に基づき、

悪いことをした人は痛い目に合う、

痛い目に遭った人は何か悪い面があったに違いない、

と思考しがちなバイアス(偏り)のことである。

 

時には、

「勧善懲悪」を過剰に期待し、

かなわぬ場合は被害者の「自己責任」「自業自得」と信じる。

 

一つ、

人は、

何かしらの危害が、

自分に降りかかる可能性を恐れ、

否定してくれる情報に飛びつく。

 

「彼等彼女等と我々は違う」と線引きしてくれる情報を求める。

 

報道の役割は、

この社会の実相を伝え、

広く議論を喚起することにある。

 

一方的なプロパガンダ(特定の思想、世論、意識、行動へ誘導する意図を持った行為)ではなく、

現地の人々の声を聞き取る。

 

世界を見るためには、

自分の内なるバイアス(偏り)を問うことから始める必要がある。

 

 

(2)なぜこの記事を切り抜いたか               

         

バッシングをするそもそも論から、

バイアス(偏り)が起因していることを丁寧に紹介する記事のため。 

 

 

(3)自分はどう思うか?

 

この記事は、

とても簡潔明快な説明がなされていると感じ、

図書館でコピーし、

新聞ノートにした。

 

私自身このバイアス(偏り)に日々陥っている。

 

災害時において、

避難情報が出たのに、

大げさことではないと高をくくり、

被災する事例が紹介された時に出たことばが、

「正常性バイアス」である。

 

バッシングの「そもそも論」二つの内、

後者の説明が応用できるであろう。

 

事実を受け止め、

それを元に考えて、

行動することが、

年齢を問わずに求められる時代と感じてならない。

 

 

(4)今後、どうするか?

 

そもそも論を意識的に使うようにする。

 

5W1Hまで使わなくても、

2W1H(何故・何・どのように)を念頭に、

生活する。

 

ラジオ「セッション22」を聞く。

 

 

 

 

 

…今回も自分の勉強がてら、

まとめてみました。

 

見たくない現実を見たくない、

聞きたくない真実を聞きたくない、

信じたいものしか信じない。

 

無関心に繋がる上記の感がから脱却せねば、

自らの心身を危険に晒すことになりかねないと感じました。

 

 

皆さんも、 

そもそもなぜ、

こうなるのかということを考えることを習慣にしてみては、

如何でしょう。