今回紹介する記事は

2018年11月16日付けの

 

「北海道新聞」の記事です。

  

【自己責任を考える】というタイトルで、

元陸上選手為末大氏が、

各自核論において、

自己責任とは、

賢さではなく勇気の問題ではないか、

という話を紹介しております。

 

いつもどおり、

「4つ」の視点この記事を見ていきます。

 

(4つの視点についてはこちらをご覧ください
https://ameblo.jp/otaru10teine20jouhou30/entry-12504795390.html

 

 (1)内容の要約

 

自己責任に関する行動には、

以下の二つが伴うものだと定義したい。

 

①組織が強く推奨していないこと組織の戦略に従わない中での行動。

 

②誰の指示でもなく自らの意思で行った行動。

 

よく統制された組織は、

この全体に従う行動が徹底されている。

 

スポーツの現場においては、

自己責任を伴う行動が良いかどうかは、

「結果論」で語られることがほとんどだ。

 

社会においては、

責任を伴う行動が良いことなのかどうかは極めてわかりにくい。

 

組織で戦う場合、

二流の作戦だが全体が一致して動く場合と、

一流の作戦だが全体が一致しない場合では、

前者が勝ってしまう場合がある。

 

それらを踏まえた上でも、

私は、

「自己責任を一定量、

認めた方が組織にとって有益だ。」

と考える。

 

変化の激しい時代昨今において、

いくら努力しても正しい答えを見つけるのが困難だという場合においては、

自己責任を伴う行動を誰もしない組織は不利になる。

 

人間は「慣れる生き物」である。

 

全体を逸脱して自分の意思で行動しなければならない時、

過去に一度もそのような経験がなければ

過剰に恐怖心を抱き行動できない恐れがある。

 

組織の命令に従うトップダウンから、

自分たちで考えて動くボトムアップ型へ変更することが、

難しくなる。

 

アクティブ・ラーニングや副業解禁など、

私達は自分で考え、

自分の人生を自分で設計する時代を生きており、

強く推奨されると言っても過言ではない。

 

組織の寿命が個人の寿命よりも短くなると言われる中、

自分の意思で逸脱しなければならない可能性も高い。

 

個人は自分の意思で自分の人生を切り開かなければならない。

 

私がこの考察で一番重要だと思う点は、

必要な時にちゃんと自己責任を伴う行動を躊躇なく取れる状態で、

日々生きていくということではないかということである。

 

それは賢さではなく、

勇気の問題だろうとも思う。

 

 

(2)なぜこの記事を切り抜いたか

 

自らの置かれている現状に似ている段階で、

問題提起された機序のため。

 

 

(3)自分はどう思うか?

 

自己責任という言葉は、

匿名という名の世間が、

安全な所から弱みを見せた人間を誹謗中傷する言葉である。

 

何時自分に降りかかっているかわからないから、

極力使わないようにしようと、

学生時代から考えてきて、

十年余りが経過した。

 

曲がりなりにも社会人となるも、

失敗すれば申し開きも許されない、

前例がないことをしてはいけない、

自分たちで考えて動くことができない。

 

幾度となく忸怩たる思いを味わってきたが、

それが良くも悪くも「経験」として、

自分の財産になったことは間違いない。

 

しかし…、

これからの人生において、

リスク回避だけで、

かちかち山の泥舟の上で、

運命を受け入れようなどと、

到底考えたくない。

 

去年受講した北海道生産性本部主催セミナーにおいて、

口を酸っぱくして講師達が主張した言葉、

「『勇気』をもって、

自己正当化していないか振り返りなさい。」

を思い出す記事である。

 

この齢になって、

「勇気」という言葉に、

敏感に反応するのは、

自分が思うことに何かしら、

関係があるからだろうか。

 

 

(4)今後、どうするか?

 

自己責任、

ボトムアップ型、

アクティブラーニング、

成功例を調べる。

 

上記に関する講演会が開催されるのであれば、

参加する。

 

 

…今回も自分の勉強がてら、

まとめてみました。

 

自己責任は誰もが何時でも行使せねばならない時代であり、

それに向けて何時でも牙を研いでおかねばならないと感じました。

 

皆さんも、

何時でも自己責任を伴う行動が取れるよう、

自分なりの準備を入念に行いましょう。