今回紹介する記事は

2018年10月6日付けの

 

「北海道新聞」の記事です。

  

【孤独の時代】というタイトルで、

不安な若者、

孤立する老人について、

作家藤原智美さんが、

各自核論に寄稿なされました。

 

  

いつもどおり、

「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。

 

(4つの視点についてはこちらをご覧ください
https://ameblo.jp/otaru10teine20jouhou30/entry-12504795390.html

 

 (1)内容の要約

  

最近「孤独」という言葉が目につく。

 

言葉が重みをなくし、

軽々しく乱用されるこの状況は、

まるで孤独ブームの到来を思わせる。

 

孤独は心の中にひそむ形のないものだ。

 

その存在は本人のみが理解できる。

 

いや、

場合によっては当人だって自覚できないことさえある。

 

孤独は大きく二種類に分けられる。

 

まず一つは、

若い世代で顕著になっている新しい類の孤独だ。

 

ネットに全幅の信頼や愛情を託すのは、

どだい不可能なことを忘れてはいけない。

 

いい自分を演じたり、

その場の空気を読みながら、

表面的な言葉のやり取りに終始する。

 

そんな彼等彼女達が、

人間関係に漠とした、

不安や寂しさを抱くのは当然である。

 

そしてもう一つは、

主に社会的に孤立した高齢者が抱くネガティブな感情だ。

 

社会的孤立とは、

深刻な沈黙が、

仕方がないことだとして、

抑圧される冷酷な「仕組み」ともいえ、

こうした境遇にある人を「沈黙の孤独者」とよぶ。

 

超高齢化社会で一人暮らしが急増する日本では、

老人の孤独は社会的に覆い隠され、

人生の失敗として、

個人の責任に追いやられている。

 

一人の暴走老人の背後には、

膨大な数の「沈黙する孤独者」がいる。

 

 

(2)なぜこの記事を切り抜いたか

 

若者・老人、

双方の要因ともにも、

常に不安を抱える自分が当て嵌まると思った記事のため。

 

 

(3)自分はどう思うか?

 

若者の不安で指摘されている、

ネットに全幅の信頼や愛情を託すのがどだい不可能であることを忘れるべからず、

という忠告を聞けないのが、

上司や年長者の言うことに聞く耳を持たず、

スマホの言うことしか信じない若者を指しているのだろうか。

 

皆が言っているから、

テレビが言っているから、

権力が言っているから…。

 

伝聞を信ぜずにはいられないと言うべきか。

 

老人の孤立において、

仕方が無いこととして、

抑圧される冷酷な仕組み、

人生の失敗として、

自己責任の名のもとに、

追いやられる姿は、

現在の日本において、

老人に限らず、

至る分野で散見される光景ではなかろうか。

 

藤原智美氏の各自核論は、

数年前から掲載される度に読んでいた。

 

今回新聞スクラップノートにし、

ブログで情報発信したことは、

自身一つの成果ととらえたい。

 

少しでもこの問題について、

どなたかが関心を持っていただけると幸いである。

 

 

(4)今後、どうするか?

 

藤原智美氏の著書を読んでみる。

 

・「暴走老人」

・「スマホ断食」

・「あなたがスマホを見ているとき、

 スマホもあなたを見ている。」

 

もしも氏の講演があれば、

参加してみる。

 

 

…今回も自分の勉強がてら 

まとめてみました。

 

孤独は心の中にひそむ形のないものであり、

当人でさえ自覚不可のことがある。

 

老若男女問わず、

どだい不可能なネットに全幅の信頼や愛情まで託すこと、

仕方が無い・人生の失敗・自己責任に追いやられる。

 

決して他人事ではないと感じました。

 

皆さんも、

ネットの依存度や、

沈黙する孤独者に近づいていないか、

点検してみてはいかがでしょうか。