2026.2.28
(2026.7.24現在は、ほとんど「もしも」が浮かぶことはなくなった。時間の経過とともに、いろんな気持ちは薄れて、「今」が「今」になるのかなぁ)

クライミングの友達に、
「片目でそれくらい登れるのだから、両目が見えたらもっと登れると自分で思わない?」
と聞かれた。

・・・う~ん、考えたことないな。

「もしも」両目が見えていたら?

逆に何も考えずに感覚だけでクライミングをしていて、今より登れないかもしれないし、
もっと山に行っていたかもしれないし、
仕事優先でクライミングに熱中していなかったかもしれない。

もしもの今なんてない気がする。

逆に、もしも、片目失明していなかったら、片目失明したから出会った人たちとは出会っていなかったということだよね?ややこしいけど。。
そんな「今」も想像がつかない!!

片目失明して良かったとは言わない。思ったことはない。

でも、片目を失明していなかった「今」というものも存在しない気がする。。(実際存在しないけど・・・)

・・・いや、「もしも」が頭をよぎることはあるな知らんぷり

片目を失明していなかったら、昇級していたかな、とか、もっと仕事ができるようになっていたかなとか。毎日仕事に行くからなのか、そこはたまに思う。
(同時に、「両目が見えているときから、見落とししていたなー」とも思う驚き

すごく仲が良かった友達の言葉に引っかかりを感じ、彼女とは何度かそういうことを繰り返し、疎遠になったことについては、片目を失明していなければ、交流が続いていたのかな、とも思う。

とはいえ、
そんな「もしもの今」なんて、片目になった以外にもいっぱい転がっている。

もしも、子供の頃の習い事を続けていたら?
もしも、学生時代に熱心に勉強をしていたら?
もしも、あの彼と別れなかったら?あるいは、あの人と付き合っていたら??

片目になったから、仕事はやり過ぎないようになった。
クライミングのときも、行き当たりばったりだと遠近がわからないから、よく観察するようになった。
それでいいんだろうな

生きていたらいろいろある。
生きていくからこそ大変。

でも、

物事は、落ち着くところに落ち着く。

という言葉も、片目を失明して知り合った方に教えていただいた。
今の私を支えている言葉。
これがない私は、やっぱり、想像がつかないなぁ~。