若い時の苦労は買ってでもせよと
そのように 昔から言われている
なぜ言われているのかよくわかる
苦労とは イコール 経験であり
その人間の生きていくための礎ともなる
だから苦労することは
長い目で見た時
価値になることが多い
だけど私がしてきた 苦労は
74年も生きてきた 今振り返ると
苦労とは イコール 回り道であったようにも思う
つまり 数多くしてきた 苦労は失敗でもあり 考え不足でもあったようにも思う
それを言い換えると
苦労するということは自分自身のスキルアップにつながる 苦労でないといけない
そのように 心がけていない 苦労は
単なる 回り道で無駄とも言える
若い時はどれだけ辛くとも
一人の人間としての 常に 向上を図らなければならない
そのための苦労ならいくらあってもおかしくない
買ってでもせよとはそのことである
偉そうに諭すようなことを言いながら
実に 無駄な苦労をしてきた
苦労と諦めが同居するような状況であった
努力と苦労は同居していても問題ないが
多くのことを諦めてしまっていた
次のステージに立つだけの苦労には至らなかった
わが74年の人生で
多くの夢を持ち それに挑戦してきたが
努力も苦労も足りなかったように思う
だからどこにでも居るような年寄りになり
並の人間で終わりそうである
それを恥じてもいないし 苦痛でもない
だけど残された人生
今一度 苦労しようと 今のところ 必死である
これ以上 自分には嘘をつけない
これ以上 自分自身を甘やかすことはできない
これ以上 今更 自分自身をごまかせない
最近大きな病気をしてさらに大きな病気が重なり
人生も かなり 週末に近づいていることも感じ
決死の覚悟で苦労したいと考えている
それが
競艇の予想屋である
74年 生きてきて
今までなかったような苦労をしている
毎日15時間 競艇の研究に没頭している
そして 一歩一歩 階段を登るように
知識が身についてきている
身についてきた知識は
100円が1000円に変わり
1000円が1万円に変わり
1万円が10万円に変わり
実を結びかけている
これが おそらく 苦労するという言葉の究極の最たるものだろう
苦痛は若い時にしよう 買ってでも
いえいえ
若い時の苦労はしょせん回り道が多い
直球の苦労は人生を重ねたい今だからこそ
できるように思う
我が残された人生は
成功あるのみ
我が残された人生に乾杯!