■■ 第7回 曖昧な更新料について
不動産関連の相談会にお呼ばれし、席に着くや否や、一人目の中年男性の相談者は、目をギラギラさせて私を待っていました。うっと一瞬引きましたが、逃げ出すわけにもいかず、
「どの様なご相談でしょう?」 恐る恐る聞くと、
「払わなきゃいけないのかね、あんなもん。」 といきなり吐き捨てる相談者。
「何をお支払いになるのでしょうか?」 と私。
「何って更新料。」 と相談者。
「更新料?」
「そう、更新料。」
「何の更新料でしょう?」
「何って、借地のだろうよ。」 相談者は他に更新料があるのかと言わんばかりの口調。
「借地契約期間の満了に伴う更新ですね。古くから借りられているのですか?」
「そうねえ、おれのじいさんの代からだから、戦前からかな。」
「すると、何度か更新なされたのですかね?」
「したようだね。」
「そのときは更新料をお支払いになりましたか?」
「払っていたと思うよ。おれのじいさんも親父も、お人好しだったから。」
「その部分は極めて重要です。」
「そうだろう。人は心よ。おれも地主が少しでも気のいい奴なら相談に乗らないこともねえんだが、こいつが金の亡者みたいなやろうでよ。話になんねえんだ、ったく。」
「い、いや、そうではなくて、更新料の支払いがあったかどうかが重要なのです。」
「?」
「契約書はお持ちですか?」
このようなやりとりが続き、やっと物事の核心に近づいてきました。
要約すると、契約書には更新料の支払いに関する記述はなく、更新はこれまで2回、いずれも相当な更新料を支払っていること。その水準から地主さんもごく普通の方だと思われること。改築をしていること。
また、関係がややこしくなったのは、たまたま町の会合で同席した相談者(賃借人)と地主(賃貸人)が他の数名と2次会の飲み屋に流れ、勘定の際に1円単位まで割り勘にした地主に腹を立て、飲んだ勢いで、
「せこい野郎だ。」 と相談者が言ってしまったことのようです。
「もし、裁判になり更新可能と言うことになっても、裁判所は更新料の支払いを命令することは、まずありません」
「そうだろう!」 と鼻息荒く何度もうなずく相談者。
「しかし、争いになれば、その日に即決着することなどなく、お金も時間もさることながら大変な労力を必要としますよ。」
私が幾分身を乗り出して言うと、眉をひそめ、しばらく腕組みしていた相談者でしたが、
「・・・おれも全然払わねえっていう訳じゃねえ。阿漕なことをするなってことなんだ。」
相談を受けてから1時間余り、ようやく普段の(?)良い人に戻ったのか、言い方に落ち着きが出た言い方でした。
「おこがましい言い方で恐縮ですが、おじい様やお父様が長い時間をかけて築いてきた地主との信頼関係は、目にこそ見えませんが大きいと思います。それをひとときの感情で壊してしまっては、あなたの生活、そしてあなたのお子様の生活にも影響が出るような気がします。ここはどうでしょう。もう一度お話し合いを持たれたら。」
私の言葉に何を偉そうにという顔もせずに軽くうなずいていた相談者でしたが、私は心の中で、「この話し合いはきっとうまくいく」と確信していました。
何故なら、言葉は多少乱暴なものの、その端々に出るこの男性の気の優しさが伝わってきたからです。地主も彼の話から悪い人ではなさそうです。地主の悪口を言いながら地主をかばうような言い回しもあり、地主の実像も何となくわかってきました。
「不器用だね。おれの親父そっくりだ(^^)」 私は心の中でつぶやきました。
最後に更新料の目安は借地権価格の5%~10%(更地価格の3%~8%)とお伝えし、その概算を弾いてみました。
「あくまで、これは目安です。最終的な更新料支払いのあるなしや更新料が発生した場合の額は、話し合い次第です。何よりも心からの合意が大切です。」
そう言った私の肩をぽんと一度叩き、彼は
「ありがとよ。」
そう言って帰っていきました。
不動産を介して、様々な人間が様々な関係を作り生活しています。そんな中で隣人関係や賃貸借関係で繋がった人々が、お互いに感謝をし助け合い、生きていくことが大切のような気がします。理想論といわれればそれまでですが、例えば、借りてくれてありがとう、貸してくれてありがとう、という気持ちが根底にある賃貸借関係から形成される賃料は、まさしく鑑定評価基準で言う正常賃料であるのでしょう。それを理想だと簡単に片付けるのは、少し悲しいような気がします。法による取り決めではない曖昧な更新料が、今でも存在するのは何故なのでしょうか。そこには人の心が深く関わっているような気がします。