つわりが ひどくて なにも食べれなくなった時

 

ひとつだけ 義母さんが 作った 胡麻豆腐を 食べられた記憶。

 

再々では なかったけど 数回 持ってきてくださった。

 

実家の母は 書道の師範で 毎日 忙しく

義母さんは 仕事をしてたので 忙しくて

どちらにも あまり 言えなかった。

 

YKが 頼ることを したくなかった・・というのが大きかった。 

プライド・・・かな・・・。

 

当時 海田には 産婦人科が なかった。

なので 隣町の 船越の 重田産婦人科に かかり

そこで お産した。

 

私は その 重田産婦人科で 生まれた・・と 母から聞いた。

親子2代に 渡っての お産。

 

木製の あんかとか 昔からの古い道具も たくさん使われていて

気持ちが 暖かくなる産婦人科だった。