◆政吉孤児説

 

政吉はみなしごだったのか……!

 

劇団新『遊侠三代』の優さん政吉を観てて初めて気づいたこと。

 

人斬り(龍児さん)との決闘に挑む長次(新さん)は、暗い目をして政吉に傘を持ってくるよう頼む。

 

政吉は、花道のほうへ向かいつつ、声を震わせながら、でもその不吉な思いをわざと振り切るよう、努めて軽い声音でこう言った。

 

「ひとりぼっちにしねえでくださいね……」

 

これは、これは絶対、「ひとりぼっち」を経験したことある人間の声だ!!


そう思わずにはいられないほど、彼の声に、顔に、背中には、ぽっかりと口を広げた「さみしさ」が溜まっていた。


実際、彼女がそうした演技プランで演じていたかはわからない。

 

でも、もし政吉が孤児ならば、この芝居は長次と人斬りだけでなく、おこもさんと実の子、おこもさんの義理の子とその家族、そんないろんな形の「親にはぐれた子」の姿を、そんな彼らが集まって「疑似家族」を築いていく姿を描いた物語なんだ、なんて。

『サイテーのワル』(5月6日)。本来、ポップスにはそこまでたぎらない私がキャーキャーしちまった(//∇//)


◆小さな普通の男の子

 

まだまだ政吉話。


人斬りを斬った長次が呆然と立ち尽くすところに、政吉が戻ってくる。

 

幽霊の勘違いで少しなごんだあと、「さぁさぁ!もうね!早く帰りましょう親分!寒いですからね!」と、優さん政吉はかいがいしく長次に下駄をはかせ、そのまま持ってきた傘を一心不乱にゴシゴシ拭いている。

 

「ねぇ!風邪ひいちまいます!行かねぇと!」ニコニコ、ゴシゴシ。


でも、なんでこれから使う=汚れる傘をずっと拭いてるのか。
それは彼が動転したままだから。
周りにはふたつの死骸。内ひとつは大好きな兄貴分だ。混乱するのも無理はない。

やがて「ねぇ、ほんと……行かねぇと……」と声が途切れがちになり、手の動きもだんだんゆっくりに。と、みるみるうちにあの大きな瞳から涙がポロポロポロポロ。


そして、たまりかねたように「親分っ……!」と長次の膝に抱きつきオイオイ泣きじゃくる。

子ども、なんだよね。
きっとまだ、13、14の。
押し出しのいい、爽やかな若親分の長次の威を借りてイキってても、彼自身は無力な少年だ。

迷子の子どもが親の顔を見つけた途端泣き出すように。
怖かった。悲しかった。ホッとした。
いろんな感情が政吉のなかで爆発してた。

 

泣きなよ。

泣いていいんだよ、君はまだ小さいんだから。

そんなふうに声をかけたくなる政吉だった。

『愛燦燦』(5月6日)。こういうしっとりした舞踊も、一つひとつの形が丁寧で綺麗で堪能させるよね~(突然のIKKO風)。

 

◆常に動いてる


この政吉ひとつとっても、優さんは、「知っていた世界」に「知らなかった風」を吹かせてくれる役者さんのひとりだ。


そしてもう一点、私は彼女の「常に動いてる」ところが大好きだ。


それはなにも「元気な役」ということではなくて。


『遊侠三代』の翌日に観た『夜鴉』。

優さんは、幼馴染・伝法院の仁吉に、添ったばかりの亭主を殺されてしまうお峰を演じた。


仁吉は奸計にはめられたばっかりに人を殺めることになったのだけど、罪は罪、とそのお峰の亭主の焼香にやってくる。


仁吉の来訪にざわつく一家。


このシーンのお峰が、もうほんとたまらんかった!


彼女に台詞はない。口を開くのは親分や手下たち。

でも、彼女は神妙な仁吉を前にして、ものすごく考えている。


なんで仁吉さんはこんなことしたの?そしてわざわざここに来たの?もしかしてなにか訳があるの?なんなんだろう?、と、彼女の全身が「事件の真相」に向かってグワーッと開いていくような、ぐるぐるぐるぐる思考しているさまが、ただ黙って座ってるだけなのに如実だった。

2月の大島での『夢千代日記』。吐血して果てる最期の瞬間まで、上を向いてなにかを希求する様子が、ものすごくこの人らしかった。


 「動力」という意味では、5月6日の『五木の子守唄』が、若武者の儚さと溌剌さを見せて最高!!

優さんで浪曲舞踊が観たい、という夢が生まれた瞬間。『天竜二俣城』なんかピッタリだと思うな~!(10分あるけどね☆)


彼女を観てると、草っ原に寝転んで思いきり深呼吸をしたあとのような朗らかな爽快感がある。

イキイキしてる、と一言で言ってしまえば簡単だけど、でもそう、読んで字のごとく「生き生き」してる。
艶やかに踊ってる最中、客席のおっちゃんの「いやーキレイだ!」の声に満開の笑顔で。


生命力・光合成・エンジン――この人を観ていて浮かんでくる単語は、なにかが「誕生」する予感に満ちている。