こんにちは。3月31日金曜日
お買取屋さん東京本店です。
私達のお店では、このようなお品物をお買取させて頂いております。
※「このようなお品物」の箇所をクリックしていただくと
詳細がわかるようになっております。
毎日「今日のお買取」をブログで更新しておりますので、
お時間がありましたら是非読んでいただけますと嬉しいです。
第6話 ~「江戸時代の収入」~
★「武士の収入」士農工商の「士」
「大名 旗本(幕府直轄の武士)は別として一般の武士の収入は
年収約500万円から600万円と推定されています。
もっと下級になると年収200万円程の武士がいました。
それらの下級武士は内職で傘張り・提灯張り・金魚、コオロギ、鈴虫の飼育をして
売り出して家計の足しにしていました。
支給も前述の小判などのお金で支給されていた訳ではありません。
主がお米で給料は俸禄(ほうろく)と呼ばれていました。
食用にする以外は「札差」(ふださし)を介して米問屋に売却してお金に替えていました。
★「農民の収入」士農工商の「農」
映画やテレビドラマでいつも飢えていたとされる農民ですが
実際は大きな飢饉などが無い限りある程度の生活を送っていたとされています。
平均的な収入は300万円から400万円とされているので
現在の平均サラリーマンの収入程になります。
悪代官や名主・庄屋により痛めつけられていたイメージがありますが
実際は互助的に深く結びついて年貢の公正さをチェックしたり
自分たちの意見を名主や庄屋と交渉して民主的に生活していたようです。
★「工商の収入」士農工商の「工商」
江戸幕府が開府されて武士の生活を支える為に集まった人を
主に押し並べて町人といいます。
町人の中には武士の御用達の商人や職人が存在していました。
大店(おおだな)主人の年収は規模の大小は当然有りますが
億単位での収入があったとされています。
大店の奉公人も100万円から200万円でした。
奉公人は時代劇にも良く登場しますが小僧と言われてこき使われていたイメージですが
親元にはしっかり給料が支払われていました。
俗に言う職人は様々です。
面白いのは職ごとにまとまって長屋などに住み職人町が形成されていたことです。
現在でも古地図を見ると大工町 鍛冶町 木挽(こびき)町などと言った町名が見えます。
職人の中でも大きく分けると出職と居職があります。
出職は道具などを持って外で仕事をする職人でした。居職は家の中で仕事をする職人です。
出職の大工 左官 鳶は江戸の三職と言われ花形職業でした。
火事が多かったので引っ張りだこでした。
一日の賃金は現代に換算すると日給15000円から20000円でしたから高給取りです。
行商人「棒手振り」も数多く存在しました。
毎日朝早くから天秤棒を担いで長屋などを売り歩いていました。
野菜 魚 豆腐 漬物などの食品です。
彼らの大半は早朝、貸金業者から仕入れ代金を借り市場へ行き
商品を仕入れてから売り歩いていました。
夕方商売を終えると貸金業者へその日借りた銭と僅かな利息を支払っていました。
毎日その繰り返しです。
一ヶ月休みなく働いて手元に残るのは15000円程度だったようです。
良く江戸っ子は「宵越しの銭は持たない」と言われますが持てないというのが現状だったようです。
落語に登場する熊さん八っつぁんは好きなお酒も満足に飲めなかったのです。
飲料水は現在では普通に水道が普及していますが
江戸時代は水道がほとんど普及していなかったので水売りという職業もありました。
飲料水を庶民は買っていました。
埋立地が多く井戸を掘っても海水混じりで飲用には適していなかったのです。
井戸水は主に洗濯や食器等の洗い物用に使用されていました。
続きはまた明日。
本日も読んでくださりありがとうございました。
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