こんにちは。3月29日水曜日
お買取屋さん東京本店です。
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第4話 ~国内での貨幣の流通~其の③
※国内での貨幣の流通は長くなるので、3回にわけてお送りしています♪
今回が国内での貨幣の流通編の最終回です。
江戸庶民が日常で貨幣として使い流通していたのは
長方形の小さな金貨・銀貨・銅銭です。
金貨には「二分判金」「一分判金」「二朱判金」「一朱判金」が有ります。
これらも時代によって金品位が江戸初期から後期で小判同様品位が下がりました。
二分判金二枚で小判一枚(一両)の価値になります。
一分判金四枚で小判一枚です。
これらは金座(きんざ)と呼ばれた幕府公認の銭座(現在の造幣局)で作られました。
ちなみに国内で金が採掘されたのは佐渡金山が有名です。
関東近県ですと戦国時代甲斐(山梨県)の国で武田氏が金鉱脈を発見し
独自の金貨(甲州金)を製造して他国との交易に使用していました。
各地の金山から採取した金を江戸金座に運び込み全ての金貨を集中して鋳造しました。
この金座を当時統括していたのは後藤宗家です。
後藤家は豊臣時代に天正大判を鋳造したことから江戸幕府にも信頼を受けていたので
独占的に鋳造を請負いました。俗に言う金貨は全て後藤家が請負いました。
ちなみに東日本は金貨、西日本は銀貨が主に流通していました。
西日本は銀山が多く東日本は金山が多かった為に流通制度にも差がありました。
西日本「兵庫 生野銀山・島根 石見銀山」等
東日本「甲斐(山梨)」「佐渡金山」等」
続きはまた明日。
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