2020年3月に日本生活に戻ってから3回目の桜を見ることとなりました。



もうJakarta生活は今は昔のような変な感覚です。



駐在が3年間とかだったら、最後の1年ということですものね。



我が家のジャカルタ駐在も、ついに終わりを迎えました。

約9年の駐在期間でした。6年でも十分長いのだけど、コロナ渦のゴタゴタもあり、更に長引いたという感じです。



私達はそうでもないのだけれど、旦那氏は、久々の日本生活に戸惑いを隠せていない様子。そりゃね、浦島太郎状態です。

これまでは出張でちょこちょこ日本に行っていたけれど、コロナ渦で約3年帰れずだったからね。



旦那さんがやっと帰任したタイミングで、そろそろまた海外に帯同したいと密かに思っている私(笑)

ベクトルが全く逆です。



インドネシアにまた行きたくなることなんて絶対にあり得ないと、駐在2年目位の時は思っていたのに、気持ちが変わるなんて不思議。

でもまあ、日本は総合的にやっぱりいい国ですね。



インドネシア語は、時々、インドネシア人の友人とチャットをする時位しか使わないので、衰退の一方ですが、それでも3年振りに聞く単語が、すんなり理解できたりもするから、脳って面白い。どこかで記憶しているんだね。

ただ、インドネシア語の省略型が全くわからない!若者語なのかもね。



上の子は、コロナ渦で帰国したときは5歳代、記憶は断片的。

写真を見返すと、「あ〜覚えてる〜!!〇〇だったよねえ」と思い出す感じかな。



プレスクール時代の友人は、たまに写真を送り合うのだけど、現地ではG2の子が多いです。みんな大人っぽくなってるね。



google photoで4年前の写真が上がってきたりするのを見て、懐かしいなあ〜と思ったり。



私はインドネシアの暑さが1番だめだったなあ。そりゃ日本の夏のほうがきついけど、日本は秋も冬もあるからね。

コロナがなかったら、もう少しインドネシアても良かったのかもしれない。



上の子は、ジャカルタ時代は家庭内でもほぼ英語を話していたので、小学校はローカルのインターに進学予定でした。現地の初等教育を1~2年受けて日本に帰国するとどうなっていたかな?よく考えます。

メリットもデメリットもあるのだけれど、今よりももっと柔軟性を持った考え方ができたかもしれない(8歳くらいだと記憶ももっと定着するし)。



下の子ももしかしたら、上の子につられて兄弟間は英語で話していたのかもね。

帰国時2歳、現在4歳。毎日、好んでpeppa pigを見ているくせに、全く単語さえ発話しない(笑)

上の子はよく、フレーズを真似ていたのに、この違いよ(笑)



約9年駐在(家族は7年)したのに、意外とローカル色に染まらなかった我が家。

旦那氏はインドネシア語をほぼマスターする位になったけど、絶対にパサールには行かなかったし、本人の意思ではインドネシア料理を食べることもしなかったし、歯磨き水もボトルウォーターを徹底しました。



私もインドネシア料理は食べなかったな。時々テンペは食べたけどね。



贅沢な話をすれば、定期的に日本と行ったり来たりできるのなら居たいね。

インドネシア生活の一番のネックは医療。長く住んでもやっぱりここ。

コロナ下で気軽に往来できなかったので、我が家は家族は先行本帰国したんだよね。



色々なことがあったけど、トータルでいい思い出となっていることは幸せなんだと思う。

日本にいるとなかなか思い出耽ることはできないけれど、写真と記憶!!という術を使って、時々、インドネシア生活を思い出したいな。



やっぱり人生初の海外生活の7年間はとても思い出深いから。