【師のブログより】


基本的に人はさせていただいた事は覚えてはいるのですが、良くしていただいた事は忘れる傾向にあるように思います。

自分もさせていただいた事は覚えてはいるのですが、していただいた事は忘れてしまいがちになっているように思います。

布施波羅蜜の施しについて勘違いをおこしてしまうことがあるのですが、仏さん(お釈迦様)が説かれている施し(布施波羅蜜)というのは、基本的にしてやっている‼︎というわけではなく、自分の幸せの為にさせていただく‼︎という意味なので、決して恩にきせることはありえないことを説かれています。

施し(布施波羅蜜行)という尊き行いは神社や仏閣に限ってさせていただくという意味ではなく、日常の生活の中でも施しをさせていただくことも大切だということが説かれています。

人は悲しいので仏さんの尊き教えを守っている人を無意識に利用しようとしてしまう人も出てきてしまいます。

布施波羅蜜の教えを守っている人と出会うと、あの人は何でも与えて(施しをして)くれるから利用が出来る‼︎っとか、甘えてしまおう‼︎とか、ついつい思ってしまう人もいるのです。

そのように自分を中心に考えてしまう人に施しをさせていただいたとしても、結果的には、その人を堕落させてしまいその人の幸せの為にならなくなってしまいます。

そうなってしまうと、結果的に自利利他が成立しなくなっていきます。

しかしながら、生きた施しもたくさんあります。

未来に繋ぐ施しもたくさんあります。

私はお坊さんなので施しをさせていただいたり、逆にいただいたりしてきました。

それらの愛の施しこそが自分とお寺の明るい未来に繋がらさせていただいてると思っています。

施しの過程は様々だと思いますが、私は本当に感謝をしています。

相手がどうなろうが関係ない。自分さえよければいい‼︎という気持ちは、人の愛や、優しさという気持ちを壊してしまう形になってしまい、互いの不幸に繋がってしまいかねます。

自分可愛さから自分さえよければいいという考えになると、仏の教えでは結果的には悪因悪果(悪い行いは悪い結果を招くこと)となり、三宝(仏、法、僧)さえもぶち壊すことになりかねないので、苦しんでしまう形になってしまうことになってしまいかねます。

生きていれば裏切られたり、失ったり、色々なことが起こってしまいます。その中で出会いや別れの過程は人それぞれだと思われます。しかしながら、お世話になったことが一度でもあるのなら、その人への悪口や不平不満を出来る限りに自分の幸せの為にも慎むように努めていかなくてはいけないように思うのです。

施しをさせていただくという行いは、善因善果の教えにて、最終的には自分の人生を豊かに幸せにしてくれます。

何故なら、真心からのお布施をさせていただくからこそ、結果的に感謝をしてもらえるようになり、みんなから自然に愛をもらえるようになれるのです。

だからといってさせていただいたことは忘れなくてはいけないです。忘れるからこそ、素晴らしい功徳となります。

聖者は自然と見返りを求めないですし、させていただいたことも忘れてしまいます。させていただいた時に喜ばれるので、その時に幸せをたくさん感じて自分も幸せにしてもらっているのです。

自分だけではなく相手の人生も考えられる心こそが、自分も他者も幸せにしていく尊い行いになっていくことを、仏の教えでは説かれています。

誰もが自分可愛さから失敗だってたくさん経験していくことかと思うのです。

もちろん、私もそんな一人だと思います。

施し合い、支え合い🤝相互供養の心こそが自分を幸せに笑顔にしてくれる。

相変わらずまだまだな私ではありますが、素晴らしい施しの行が出来るように邁進して努めていきたいと思います。

では、幸せな日々を目指して‼︎

自利利他円満‼︎



合掌