【師のブログより】

仏教では、よく自分で自分のことを知り、自分で自分のことを見つめ直すことは大切だということが説かれています。

自分のできる限りの器量をしっかりと知りつくし、無理のない約束や誓願を立てて、神仏と結んだ約束事などを守れるようにしていくことは良き修行になるように思うのです。

何故なら、約束などを守れる人は大きな功徳と信頼感が生まれていくものだと思うからです。

その日々の約束事や誓いを精一杯に守れる人になる為にも、小さな善行や積み重ねの修行が大切になっていくように思います。

よく我々僧侶は3、7、21....日といったように修行する期間や日数をしっかり決めて仏様に誓いを立てて修行をしたりします。

修行をする日数を仏様に誓願する理由は、色々と深い意味や諸説はありますが、なによりも何事にも約束事を守れる大きな人になっていく為ではないかと私は思うのです。

誓いや約束の言葉を無責任に発言するのはとても簡単ですし、誰にでも出来ることだと思うのです。

しかしながら、それらの約束事などを完璧に守っていくことは、本当に難しいことのように思うのです。

我々には煩悩があるし、何よりも我々は弱い人間であるからこそ、仏様にしっかり誓いを立てて、身も心も引き締めてもらい、必死に修行をしようという意志を持たなければ、何事にも修行は続いていかないように思うのです。

誰もが、偉大な神仏を裏切ることにより天罰や仏罰をもらうんではないのかな⁇って、恐れてしまうものです。そんな恐れてる中でも、仏様との大切な約束事を破ってしまえる人は、もちろん、人との約束なんてすぐにでも破ってしまうことが考えることが出来ます。何故なら、神仏という偉大な方々を簡単に裏切ってしまうことが出来るからなんです。

仏様は因果をお説きになられていますので、全ての事実は見せてもらえるようになれることかと思います。

もちろん完璧な人なんていないものです。

だからこそ完璧になれるように、修行を重ねて邁進していくからこそ仏様のような人になれるんではないかと思うのです。

その中でも、仏様との誓いを立てていても様々な理由によりその誓いが達成出来ない時や失敗してしまう時は誰にでもあると思うのです。

病などにより、約束を守ることが出来ない時や修行日数が守れなかった時には真剣に本気に真摯に仏様に謝って許してもらうようにしなくてはいけないように思うのです。

もちろん人に対してもそうだと思うのです。

約束が守れなかった理由をきちんと説明して、素直に本当の事を伝え、言い訳などは一切せずに真摯に謝っていけば、結果的に神仏も人も許しをいただくことができるようになっていけると自分は思うのです。

一番いけないのは、神仏や人との熱き誓いや約束を破って、説明も謝罪もなしに簡単に裏切ってしまうことなんです。

そうなると、業を作ってしまうように思います。

だからこそ、できる限りに何事も有言実行ができるように心がけて約束事を守ろうとするところに仏の功徳や慈悲がたくさん眠っているように思うのです。

「大切にするよ‼︎」「幸せにしてあげる。」

「一生守ってあげる‼︎」「君の為に!」

それらの言葉を愛する人から、または、信頼してる人から言われたら、人は嬉しく喜び涙を流して歓喜すると思うのです。

それらの約束をやり切った時には、信頼感が生まれていきます(^^)

いい加減に言おうと、本気で言おうと言ったことが必ず結果として見えてくる時がやってきます。

先が見えてくるからこそ、自分の器量と言葉の重みを知らなくてはならないのです。

それらの言葉の約束を簡単に破ってしまうと、後で自分に業というもので重くのしかかってきてしまうものですし、自分で自分のことを苦しめる形になってしまいます。

まずは、小さなことを誓願して、仏様との間で約束事を交わして邁進することは、結果的には何事も責任を持って守っていける大きな人になるきっかけになると思うので、仏の修行をはじめていくことはよいことのように思うのです。

(小さな約束事の例え→「今日の1日間は、お菓子を食べません」とかです。)

自分も仏様との誓いを立てる時には、まずは無理のない誓願を立ててゆっくりと修行をするようにしています。

無理な発言はせずにできる限りに有言実行を心掛けていきたいものです

仏様の約束が守れる人は、人との約束も守ってあげられるようになると思います。

自分も修行を重ねて言った事を守れるような大きな人になっていきたいものです。

千里の道も一歩から‼︎

コツコツと前進、前進。


合掌