所謂、ファーストフードチェーン店に生まれて初めて入ったのは、いつだったか考えてみると、「〇〇〇ー〇ー〇〇ツ」が最初のようだ。小学校二、三年生の頃だから、これは地方都市の名古屋という条件を考慮すると結構早い出店だったのじゃないかと思う。場所は昔、馬を洗う池があったという由来の今池である。七階建ての〇〇ーとその隣りにはその後、確か訴訟になった筈の「〇〇将〇」という蟹料理の店があった。マ〇〇〇〇〇や〇ン〇ッ〇ー〇〇〇ド〇〇ンにいつ初めて入ったかは何故かあまりはっきりした記憶がない。ただ、初めてハンバーガーというものを食べた時の記憶は鮮烈に残っている。高校一年の時に、同じ高校に進学した小学校時代からの友人に誘われて〇〇〇という所にあった(〇〇〇と読む。自宅からこの地下鉄の駅まで自転車で通い、〇〇の駅で降り、あとは徒歩で高校に通学していた)、アメリカ風に言えばダイナー(?)のような個人経営のキッチンで食べたのだが、(バブルの絶頂にこれから向かおうという世相だったから)テリヤキバーガー八百円という値段にも驚いたが、初体験のその味のあまりの旨さにまさに吃驚り仰天してしまった。軽い文化をバカにしてはいけないと思った。ハンバーガーについてはそういう感じだったが、話を戻すと、小学生の頃、ファーストフードと言えば(当時ファーストフードなんて言い方も認識もなかったけど)、ぼくの場合は〇〇〇ー〇ー〇ッツだった。しかし、ほぼそれに近い存在が七階建ての〇〇ーの中にあった。〇〇〇〇のラーメンである。東京は〇〇というのが有名らしいが、〇〇〇人は〇〇〇〇である。ソフトクリームなどのデザートもあり、ラーメン一杯の値段が確か当時百八十円か二百十円ぐらいだった筈だ。当然本格的なラーメンではないが、といってインスタントの味でもなく、飽きの来ない独特の味をしている。だから子供の頃は〇〇ーに買い物に母親に連れられて行く度に〇〇〇〇のチャーシューメンを食べていた。この〇〇〇〇と隣り合わせにうどん屋もあった。やはり値段の安いうどん屋である。ある日、母親がうどんを食べたいと言って、子供だったおれもそのうどん屋に入ったのだが、おれはうどんというものを食べるのはそれが初めてだった。当たり前と言えば当たり前なのだが、うどんとラーメンというのは同じ麺類だからよく似ている。おれは初めて食べるうどんをラーメンのヴァリアントだと考えた(もちろん今思えばという話で、当時そんな言葉は知らなかったが)。言うまでもなく、うどんという食べ物はあくまでもうどんであり、いわば独立独歩の食べ物である。ところが、ラーメンのヴァリアント(変種)だと考えられたうどんはどんな味がするだろうか。物凄く不味いのだ。これはラーメンじゃない!とおれは思った。それからというもの、おれは両者が完全に別物だと理屈抜きでわかるまでうどんが嫌いになってしまった(バカな話だがそれは高校生になるまで続いた)。
〇〇〇〇〇の穴というのは、どうも初めから設計された穴ではないらしい。〇〇〇〇〇とは別の食べ物がまず初めにあって、何らかの要因でそこに穴が開いたものが〇〇〇〇〇らしいのだが、船乗りのグレゴリーが操舵輪に引っ掛けるために開けたとか、グレゴリーの母親が揚げ菓子をつくる時にいつも真ん中が生焼けになるので開けたという説があるそうだ。操舵輪の話が本当だとしたら実用的な穴だったことになり、面白い。そうすると〇〇〇ー〇ー〇〇ツとはひょっとしてグレゴリーのことなのだろうか?
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ダシール・ハメット『悪夢の街』読了。掌編の「アルバート・パスターの帰還」以外はいずれも少し長めの短篇で、計四篇集められている。冒頭の表題作は「知らない人」という言い方にこういう使い方があったかと思った。「新任保安官」は解説によれば黒澤明の「用心棒」の元ネタらしい。一応コンチネンタル・オプものだが、カウボーイがいっぱい出て来る半分西部劇のような作品である。そう言えば、ハメット氏もロストジェネレーションだった。(19日)
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