昨年末から年初にかけて身体的症状を伴う神経症が酷かったが、ここへ来て、また酷くなり、これが始まるとぼくも弱くなるので、つい外的原因を疑い、あれこれ自分の書いたものをこれが原因か、あれが原因か、と疑ってしまうのだ。先に公表した「若い頃、ジャズにハマらなくて良かったとも言える。ジャズミュージシャンになりたいと思ったろうから」という一文を突如削除したのはそういう理由です。申し訳ない。で、削除して治ったかというと、軽減したような気もするが、はっきりしない。世阿弥はもの狂いの原因を憑依現象とは見ず、その人間の心の内部で起きている心的葛藤だと理解していたらしい(『日本歴史大事典』「物狂」より)。フロイトより四百年は早い創見であり、びっくりしたけど、そうであれば、ぼくの神経症も心的葛藤が理由であり、葛藤の一方の当事者は普段のぼくとはたぶん真逆の心的傾向と性格である。だから、「熊五郎損料落咄」の完成に気を良くして書いた、ぼくの先の一文もそいつが面白く思っていないことは確かであり、ぼくにしてみると(傍迷惑なことはわかっているが)、削除したこともそれほど見当違いではない。そこまでわかっているなら、治せるだろうという人もいるだろうが、これが治らないので、現在、ぼくとしてもいかんともしがたい(症状に対するぼくの仮定と推測が当たっているとすれば、恐らく禅で言えば、体参が必要なのだろう。哲学で言えば、前=言語的な現実への突入)。以上の点をご留意いただき、(続くとしたら)このブログにお付き合いいただけると有難いと思う。(というこの文章も削除するかも知れないから、前もってひたすら謝っておく。ゴメン🙇💦💦)。
(19日)ご心配をおかけしましたが、とりあえず乗り越えました。しかし、根本的な療治がないとすれば、繰り返しになるんだろうと思います。
「熊五郎損料落咄」を読んでいたら、「泊まり賃」を「留まり賃」などと書いてあり、訂正しました。この「泊まり賃」という言い方はネット検索でヒットする辞書で調べたところ、二十世紀になってからの言葉のようで、それほど年代がかっていない言い方のようなので、江戸時代中期という時代設定には相応しくないかも知れないが、相応しい言い方としては宿銭ぐらいだろうと思うが(というか、それぐらいしか、ぼくには思い浮かばない)、それなりに愛着があるのでそのままにしておきたい。
「この侍たいした出世はできないだろうと思い至って(…)」を「できないだろうなんて」に、「怖い怖い掛け軸でも買って床の間に吊るしておけば(…)」を「怖い怖い掛け軸を買って床の間にでも吊るしておけば」に推敲、訂正させていただきます。
アイコンを自画像の写真に変えました。ついでにカバー写真も変えました。