18日にメガネを新調してみた。老眼がはいって来て、本を読むとルビが見えづらくなって来てしまったのだ。おまけにプラスチックレンズだったので傷まるけになり、店員に前回作ったのはいつかと訊かれ、十年前くらいと答えたら、オッ、などと言われた。それで、まあ、メガネ店の明るい鏡で見たときは無精髭面が功を奏したしたのかずいぶん似合っていると思ったし、遠近両用も思ったより使い心地が悪くなかったが、どうも、フレームがいまいち自分に不似合いな感じがして落ち込んでいる。もう一本買うか、どうするか。
筒井康隆『人類よさらば 』読了した。最初の方こそ軽く読めたが(本当に軽いのかはわからない)、前半の中盤ぐらいから重くなり、しばらく休憩したりしたのでショートショート作品集にもかかわらず結局読むのに一週間かかってしまった。冒頭からいきなり爆笑させていただいた「更利萬吉 マッド社員シリーズ」も読み終えてみると重い作品だった。
それで、この間、あらためて本棚にある未読の小説を数えてみたら、130冊以上もあり、我ながらあきれかえった。ただ、弁解すれば、この本はひょっとするともうすぐ絶版になってしまうんではないかという怖れが常にあって、つい買い込んでしまうという、そういう理由もなくはないので、まったくの怠惰というわけではない。とはいえ130冊は無茶だと自分でも思う。しばらく小説を買うのは控えて、読む方に専念せねばなるまい。
書きかけの小説も殆ど諦めた。テーマの問題意識というか、追求というか、不徹底だったと今日自覚した。果たしておれに解答を導き出せる問題なのか、それも謎だが、しかし、それ以外に書きたいことというのもないので、小説にするかはわからないが、考え続けては行くだろう。
YouTubeでハワード・マギーという人のアルバム「ダスティー・ブルー」の中の一曲にしびれて、アルバムCDをアマゾンで注文したが、入荷のメールが来ない。これも諦めるしかないのか。以前(2014年頃)、ベン・ヴァン・ゲルダーの「フレーム・オブ・リファレンス」を買ったときも長かったなあ(これはアマゾンじゃなくてHMV)。半年かかったのではないか。当時スキー板のベースプレート組み立ての派遣労働をしていたが、通勤時の車の中で大音量でリアーナの「アンブレラ」を聴き、帰りにこの「フレーム・オブ・リファレンス」を聴いていた。工場を出て昼休み青空は二人だけのサッカーを見る、などと短歌まで作ったが、それから父親が末期癌で入院し、ある夜チアノーゼになって母親といっしょに病院に駆けつけたが、おれは翌日の昼に母親と入った和食チェーン店で食べ物が喉を通らなくなってしまった。しばらくすると糖尿病の薬の錠剤のそれほど大きくないものまで喉に引っかかる感じがして、結局その夏、精神科に二度目の入院(一度目は2010年)をした。よくある話のようだが、夏の日射しで病室の窓の窓枠が黒い影の十字架になって床に落ち、それを眺めてうち沈んでいた。食事は流動食と言うよりゼリーみたいな粥だった。入院してしばらく下痢が続いた。薬の錠剤は砕いてもらっていた。お骨みたいな灰の山のなかにプリンのような食べ物が焼かれ、容器のプラスチックが融けるので、これじゃ喰えないという夢で目が覚めたり、父が死んだ後は百鬼夜行みたいな夢を見た。カレン・カーペンターの症状の隠喩はあきらかじゃないか?と〈声〉が言った。父親は九月五日に逝った。子供の頃、霊柩車を見ると親指を隠していたが、死に目に会えなかった。