かつて日本では、治安維持法という大反動とセットで普通選挙が実施されましたが(あと、ラジオもそうかも知れない)、今日のインターネットは情報レベルのデモクラシーだと言われています(モーリー・ロバートソンの受け売りだけど)。
つまり、もはやマスメディアは情報の専売公社ではなくなり、その独占力とか、占有率が著しく低下しました。特にニュースは新聞でも、テレビでもなく、ネットで入手するという人が今や大勢を占めるらしい。そのソース(情報源)も本当に個人発信の場合もあり得るらしい(例えば災害の情報など)。
というような時代の文化はどうなって行くのでしょうか?
全員が情報発信するとしたら、驚異的な多チャンネル化時代ということで、それほどまでにチャンネル数が多いというのは、実のところ何もないのといっしょでしょう。多羊亡希の時代とでも言うのか。
メインストリームは確かにあるにはある。しかし、今サブカルチャーと言われて、何がサブカルチャーなのか答えられるかというと難しい。すでに数年前、パートの女性と忘年会で話した折、テニスの錦織圭を知らないと言われて大いに戸惑ったことがありました。共有する世界が異様に多様化し、かつ狭くなっている、ということかも知れない。まあ、しかし、マスメディアが衰退すれば当然起きる現象とも言えるでしょう。
一方、一人のタレントをしっかり見ようとすると、昔は勿論、テレビでこと足れりでしたが、今はユーチューブを見ねばならず、いくつかの衛星放送、ネットテレビ、それにラジオと、トータルに追うのが難しくなりました。これもやはり、公共の弱体化ではないでしょうか。
定番というのが死語になるかも知れない。ずいぶん昔、これだけは読んでおかなきゃいけない、という雑誌がなくなったと言われていましたが、いよいよそれが文化全般に及んで来たのでしょう。
とすると、どうすればいいんでしょうか?