昔、パリーグにエルヴィス・コステロみたいな大きな黒縁眼鏡をかけた、まるで銀行員みたいな投手がマウンドに登ってきて笑いこけたことがあった。これは少し昔、K1の選手に元銀行員の黒人がいたが、少しも笑えなかったから、あくまで外見上の話であろう。それにしても、今あれを見て面白いかはちょっとわからないのである。というのは、現在サラリーマンが平凡な存在なのか、よくわからなくなってきたからである。

例えば、新婚ホヤホヤの若妻の如く無限に自社のコマーシャルソングをアレンジし、都会の家郷のちょっとしたノスタルジーを売っている、例の会社の住宅を買う人は平均的大衆だろうか? いや、それぐらいは自覚がある。では、今をときめくAKBは聖か、凡か。いやいや、あなた。アイドルなんて昔っからそこいらに居る普通の娘ですよ。しかし、キャンディーズは普通の女の子に戻りたいと言って引退したのだ。AKBは聖か凡か?

トランプという人は大統領になる前、自分以外の分限者の子息をラッキースペルマクラブと呼んでいたそうである。トランプに生まれ変わるのは容易ではないにしても、誰にでもある程度はタレントがある時代であり、現在、極度に平凡の概念が混乱していると言えよう(一方、エレキギターのギブソンが倒産したりもしているが)。

芸術的な成功といっても、ドライに割り切れば却って展望が開けたりもする。自分より無知な大衆を見つければいいのだ(ゴッホより普通にラッセンが好き)。そこでベンチウォーマーから脱け出せなくなる。

かく述べるぼくがそうであるが、モハメド・アリは少年時代、ボクシングで世界チャンピオンになるんだとうっかり近所の親父に話して、そんな夢みたいなことを言うな、もっと地道な道を探せと説教されたという話もある。この話も、昔、友人から聞いた時、笑った記憶がある。ベンチウォーマーが永い(そもそも二軍にいるかの保証もないわけだが)今は笑えなくなってしまった。だいいち、自分が何のベンチに座っているのかもはっきりしない。さらに、アリの近所の親父が、究極的には平凡に生きよと諭しているのだとしたら、果たしてそれは現在、どんな生き方なのか?サラリーマンになり、結婚して、子供をたくさん作り、サザエさんの如く三世住宅で、プリウスなんぞを乗り回したら、大衆を大きく逸脱する可能性がある。

話は少し逸れるが、ぼくは田舎に住んでいるが、ここ最近太陽光発電のパネルがやたら増えた。一足先に火星のテラフォーミングを見るようでもある。他人様の土地であり、何を建てようと他人様の勝手であるが、エコロジー運動のアイロニーを見る思いがする。

他方、この現象をネット社会の熱帯のテンポと比喩と解釈することも可能だろう。実際それで、わがブログのタイトルをわからないながら、半分は山勘で「平凡パンツを穿いてみな」にしたものの、そう書いた本人がモハメド・アリ並みの非凡を目指してベンチウォーマー歴二十数年という男なのだから、まるで説得力がない。そして、よくよく考えてみれば、何をもって平凡というのかわからなくなっていたのである。

禅では凡か聖かにこだわっているうちは、たいした心境ではないらしい。恋する女も男もよく言う。君の前では、おれはただの男だ。