先月8月24日、イタリア中部、首都ローマの北東百キロで、マグニチュード6・2の大地震が発生した。

英国BBCは「町の半分がなくなった」と報じ、ローマ法王フランシスコは定例演説を犠牲者追悼のために中止、三百人近くが亡くなり、余震による救助難航で非常事態宣言まで出された大きな地震だったが、

これを、こともあろうにフランスの諷刺週刊紙シャルリー・エブドが被災者をパスタ料理やラザニアに見立て、傷を負い血を流したり、火傷した男女を「トマトソースのペンネ」「ペンネのグラタン」などと表現、さらに、瓦礫に挟まれ層をなして血を流す被災者を「ラザニア」と揶揄嘲弄した。

これに激怒したイタリアの壊滅的被害を受けた町のひとつアマトリーチェは、「自然災害の被災者に対するおぞましく無神経で想像を絶する侮辱に当たる」として名誉毀損で同週刊紙を提訴する事態に発展した。


ぼくは原則的には、悪口や中傷、侮辱、冒涜も表現の自由の範囲内であると信じているが、

地震に先立つ昨年2015年1月、シャルリー・エブドはイスラム教の預言者ムハンマドをからかった諷刺画を掲載し、テロリスト(と、一概に言ってしまっていいかは微妙だが)に会議室で銃を乱射され、編集長を含む十二人が殺された。この時清掃作業員まで犠牲になった。

事件後ぼくは、編集長が生前「跪いて生きるより、立ったまま死にたい」と言っていたと知り、他人様の生き方ではあるが、まさに膝が硬いと評してツィートしたことがある。

フランス全土で400万人規模の「自由の行進」デモが起き、オランド大統領や、メルケル首相、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナのアッバス議長など各国首脳がデモに参加、一方ローマ法王フランシスコは他人の信仰を侮辱すべきでないとコメントしたり、反イスラム感情がヨーロッパ各地で高揚したり世界的な問題になった。

この事件は表現の自由の問題ではあったが、これが諷刺かどうか、という問題にはならなかった。

ずいぶん昔、ぼくは諷刺はミサイル、パロディは核爆弾と考えたことがある。

諷刺は相手を殺すのみだが、パロディは自他もろともふっ飛ばすと考えたのだが、いずれにしても今回のイタリア地震の「諷刺」が所謂、諷刺の範疇に該当するかは、ぼくも疑問に思った。

自然災害の死者を愚弄するなどは常識的に言えば滅茶苦茶であり、よほど特殊な事情でもないかぎり諷刺にはなり得ないだろう。

後付けの弁明か、確信犯的にかはわからないものの、シャルリー・エブドも諷刺とは強弁できなかったらしく、あれはブラックユーモアだと解釈を提案した。

表現自体の賛否はともかくとして、なるほどブラックユーモアならば死体を愚弄することも手法としてはありうる。ただ、これは誰でも思うだろうが、それなら同じ筆鋒が自分にも向くのか、例えばニースの花火大会でのトラック暴走テロを同じようにあげつらったかは詳らかでないのだ。

テレビ人の岡庭昇という評論家は、表現の自由について、表現の自由なんてものはないのだと喝破した。これも原則論として正しいとぼくは思う。ギャグという言葉の意味は現在でも第一義には猿轡であり、その昔はおかしなことを喋る輩に噛ませる刑具であったと聞いたことがある。フロイトはナチの行った焚書について、「偉大な進歩だ。中世では作者を焚刑に処したが、現代では本を燃やすだけで済む」と言ったそうだ。科学万能を信仰し始めた19世紀以来、我々は進歩史観を標榜しているが、表現者の良心というものに照らすならば、本音が言いたくても言えない人や言ったが故に無残に罰せられた人たちのことは常に念頭に置くべきだろうし、理想的にはそうした人たちこそが成仏できる表現でなければならない。しかもナチスなんてのはまだ最近の話である。

シャルリー・エブドを道化と捉えると、革命を成したフランス人民だけが王様で、それもどちらかと言って暴君に阿諛追従する道化であり、まさかイスラム文明人が王様になることもあり得るとは毛ほども想像しない、そういう片輪の道化なのではあるまいか。

尤も言われた方も百パーセント得心して作者と一緒になって爆笑するといった表現が特に諷刺やブラックユーモアと言われる作品についてあり得るかとなると話は別だ。端的に言って、そういう表現はまずあり得ない。絶望的にない。

さて、では今回、イタリアの人々はシャルリー・エブドの表現の何にそんなに怒ったのだろう。無論、常識はずれの表現には違いないが、イタリアの人もブラックユーモアぐらいはもちろん知っている。

人間は他の自然に対して強く立っている、とニーチェは言っている。ベスビオス火山に烈火の如く怒る人というのはいない。その犠牲がからかわれたとしても、せいぜい、変な人だなといったところではないか。

イタリア人の抗議的な反応の後、シャルリー・エブドは瓦礫の下敷きになった女性が「あなた方の家を建てたのはシャルリー・エブドではない。マフィアだ」と呟く諷刺画を新たに掲載したそうで、これは今回の大地震でイタリア国内で建造物の耐震性や責任が問題になったようだから完全に後付けではあるが、諷刺画と規定することはできるだろう。しかし、当の問題になった作品については依然そうは言えない。

では、イタリア人は何に激怒したのか。

イタリアと言えばパスタやピザを連想するそのステレオタイプな感性か?(これは確かにブラックユーモアの常套手段)。

意識的にか、無意識的にか、シャルリー・エブドがあの残酷な絵で言わんとしたところは、「食い散らかしたローマ帝国よ、今さら被害者ヅラするな」ではないかとぼくは思う。


この江戸の敵を長崎で討つような無意識的暴力性にイタリア人民は怒り狂ったのだろう。