さようなら、という言葉が使いにくくなった。

永遠の別れを想起させる重い言葉のニュアンスがあると考える人が多くなったらしい。

考えてみると、ぼくの子供のころ(昭和四十四年生まれ)、親しい人にはすでに使わなくなっていた。

幼稚園児の頃、親戚の従兄弟が遊びにきて帰る時、母親に言えと促される言葉は、

「ほら、バイバーイって」

というものだった。

しかし、小学校では帰り時間、皆で唱和するのは、さようなら、だったと思う。

ついでに言えば、これには必ず誰かひとり、さよオナラと言う奴がいたけど、

テレビという言説空間でも、さようなら、は使いにくくなっていたのだろう。

映画解説者、淀川長治の毎週の番組の別れの言葉は、有名な、

サヨナラ、サヨナラ、…サヨナラ。

であった。

まあ、友達同士なら、じゃ、またね、でよかろうが、上司にはどう言えばよいのか。

新日曜美術館の井浦新のごとく、

それでは、また次回。

とは言えない。

目上だが親戚の伯父なので誤魔化せる、

さいなら、

も使えない。

社長に昼間、廊下ですれ違った時、平社員が交わす言葉はない、というのを聞いたことがあるけど、

上司や目上の人とわかれる時に交わす言葉もない、

ということになるのかも知れない。

欧米か!

で笑って済ますわけにも行かず、困ったことよのう。