もう時効だろうと思うので話すことにする。
ぼくは高校に地下鉄を使って通っていた。
片田舎に学校があり、駅を降りてから十五分ほど徒歩で歩かなくてはいけなかった。
その日、いつものように駅を降りると、腹痛がしたのである。
駅には当然トイレがあるが、戻って用を足している時間はなさそうだった。
ぼくは高校のころ真面目な性格だったので遅刻するのが嫌だった。
それで痛いのを我慢して学校までの長い道のりを歩き始めた。
もちろん、腹痛は下痢だった。
ぼくは下を向き、なにか決然とした表情で、ウンウン呻きながら歩いていった。
途中鍛鉄の工場があり、その横は上り坂だった。並んで歩いていくほかの生徒たちの笑顔が実に健康的に明るく見えた。
ぼくは知らぬ間に油汗を額に浮かべ、腹痛と便意に苛まれながら必死で肛門を引き締めて、ヨチヨチ、幾分女性的に坂を上っていった。
10分程も耐えて、どうにか学校の校門に辿り着き、遅刻せずに済んだことをひとまず安堵したが戦いはまだ終わってはいない。
スロープを下りながら、ぼくはとても校舎のなかの便所には入れないと悟った。
距離的に無理だったし、おまけに階段も登らねばならない。
ぼくはプールの横にある便所を思い出した。
そこで咄嗟に踵を返し、教室とは反対の方向に歩きだした。
プールに行くまでに、保健室があり、体育教師が朝っぱらから二人も詰めていた。もう一刻の猶予もない状態だったが、ぼくはなんとか脇目も振らない形ではあるが挨拶だけはした。
この時、ぼくはそそくさと早くその場を離れたいのと、猛烈な便意のせいで、つい小走りしてしまったのである。
これが致命的なミスだった。
肛門からうんこがほんの少しだけ顔を覗かせた。
それから同時に、走って行くぼくにはっきりと見ることはできなかったが、保健室の横にある伽藍堂のピロティを、先程の体育教師のうちの一人が大股で急いで歩いていくのがチラッと視界に入った。しかし、その意味を考える余裕などあろう筈もない。
ぼくはおかしな走りかたでプール脇の便所に向かった。
ぼくはようやく便所に辿り着いた。朝のことでもあり、プール脇の便所には人影はない。
やったぞ。
便所だ!便所だ!間に合ったぞ。
しかし、そう思ったのも束の間、ノブを握ってトイレのドアを引いても開かないのである。おかしいと思ってよく見るとカギがかかっており、赤の印が出ている。
ふと気づけば、自分のではない明らかな便の臭いもする。
ぼくの頭に先刻の、暗いピロティを大股で急いで歩く薄暗い体育教師の姿がフラッシュバックし、一瞬のうちに事態が頭のなかでつながった。
そうなのだ。先に入られてしまったのである。
先客がいるとは全くの予想外だった。
ぼくは内股になって激しく狼狽え、殆ど泣き出したいくらいだった。
こうなればやむを得ない、誤解される危険を覚悟で女子便所に入るしかなかった。
限界に達しつつある冷静さで女子便所内を覗いてみれば、全く幸いなことに女子便所には誰もいなかった。
ぼくは一気にトイレに駆け込み、ベルトに手をかけ、ズボンを下ろそうとするが、あまりに焦ってしまい、手がしどろもどろ、うまく動かない。ベルトが外せない。
うんこは今や完全に先っちょが出ていて、奇跡的にそこで踏み留まっていた。
もどかしい、なんてものではなく、自制すら利かなくなった、しっちゃかめっちゃかに動きまわる手でようやくベルトを外し、ジッパーを下げ、ズボンを下ろし、パンツを下げて、屈んで用を足そうとした瞬間、
全部、出てしまったのである。
見事に全部出た。
すぐ下に待ち構えていた便器にではなく、パンツの上に出してしまったのだ。
ぼくは中腰になった姿勢でしばらく固まってしまった。
パンツが便の重みで数センチずり落ちたのを自覚した。
ぼくは慌ててはいけない、もう戦いは終わったんだと心に念じた。
ぼくは便器にしゃがみ込んで、パンツを傾け、内容物を便器内に落とすことに成功した。
ペーパーがあったのは本当に有り難いことであった。ぼくはお尻を拭いて、それからズボンと汚れたパンツをやはり細心の注意と慎重さで脱ぎ、フルチン状態で改めてズボンだけを穿いた。
うんこは無論流すことができた。
問題はパンツだった。
ぼくは床にパンツを置いたまま、しばらく呆然とした。それから、おもむろに誰もいないことを確かめてから、とりあえず外に出てみた。
学校によくある金網のごみ箱がひとつ置いてあった。
しかし、そのままパンツを裸で棄てるわけにはいかない。
どうしようか、と思ってごみ箱のなかを見ると、誠に運のいいことに白いレジ袋があった。
ぼくは汚れたパンツをレジ袋に入れ、しっかり口を縛り、ごみ箱に捨てた。
それで、女子便所の前をウロウロして不審者扱いされぬうちに早く立ち去ろうと思ったのだが、ここでハッと気づいたのである。
あのパンツは名前が書いてあるんじゃないか?
そうなのだ。中学生の時、修学旅行に行った時使ったパンツで、確か名前が書いてあった筈なのだ。
もし、万が一、生徒の誰かが袋を開けてなかを覗いたとしたら、どうなるだろう。
内容物に仰天し、名前を発見して今度は爆笑するだろう。そうなればイワイは糞を漏らしたと全面的にバレるのである。
真顔になったぼくはごみ箱から袋をまた取りだし、なかを開けてみた。
やっぱり名前がマジックで書いてあった。
冷や汗をかく思いで、ぼくはその場で考え込んだ。いったいどうすればいいのか?
ぼくはまた焦り始めた。
早くしないと授業が始まってしまうのである。
ぼくはふと正面を見た。
そこにはコンクリートブロックの石垣があり、法面になっていて、上は二階ほどの高さで住宅の造成地になっていた。
あそこに捨てた方が安全なんじゃないか。
見つかるにしても、生徒に見つかる心配はないんじゃないか。
そう高校生の時のぼくは考えたのである。
ぼくは誰も周囲にいないことを確認してから、オーバースローで思いっきりパンツの入ったビニル袋を石垣の上の整地に投げ入れた。
三十年前のあのパンツ、どうなっただろうなあ。
ぼくは高校に地下鉄を使って通っていた。
片田舎に学校があり、駅を降りてから十五分ほど徒歩で歩かなくてはいけなかった。
その日、いつものように駅を降りると、腹痛がしたのである。
駅には当然トイレがあるが、戻って用を足している時間はなさそうだった。
ぼくは高校のころ真面目な性格だったので遅刻するのが嫌だった。
それで痛いのを我慢して学校までの長い道のりを歩き始めた。
もちろん、腹痛は下痢だった。
ぼくは下を向き、なにか決然とした表情で、ウンウン呻きながら歩いていった。
途中鍛鉄の工場があり、その横は上り坂だった。並んで歩いていくほかの生徒たちの笑顔が実に健康的に明るく見えた。
ぼくは知らぬ間に油汗を額に浮かべ、腹痛と便意に苛まれながら必死で肛門を引き締めて、ヨチヨチ、幾分女性的に坂を上っていった。
10分程も耐えて、どうにか学校の校門に辿り着き、遅刻せずに済んだことをひとまず安堵したが戦いはまだ終わってはいない。
スロープを下りながら、ぼくはとても校舎のなかの便所には入れないと悟った。
距離的に無理だったし、おまけに階段も登らねばならない。
ぼくはプールの横にある便所を思い出した。
そこで咄嗟に踵を返し、教室とは反対の方向に歩きだした。
プールに行くまでに、保健室があり、体育教師が朝っぱらから二人も詰めていた。もう一刻の猶予もない状態だったが、ぼくはなんとか脇目も振らない形ではあるが挨拶だけはした。
この時、ぼくはそそくさと早くその場を離れたいのと、猛烈な便意のせいで、つい小走りしてしまったのである。
これが致命的なミスだった。
肛門からうんこがほんの少しだけ顔を覗かせた。
それから同時に、走って行くぼくにはっきりと見ることはできなかったが、保健室の横にある伽藍堂のピロティを、先程の体育教師のうちの一人が大股で急いで歩いていくのがチラッと視界に入った。しかし、その意味を考える余裕などあろう筈もない。
ぼくはおかしな走りかたでプール脇の便所に向かった。
ぼくはようやく便所に辿り着いた。朝のことでもあり、プール脇の便所には人影はない。
やったぞ。
便所だ!便所だ!間に合ったぞ。
しかし、そう思ったのも束の間、ノブを握ってトイレのドアを引いても開かないのである。おかしいと思ってよく見るとカギがかかっており、赤の印が出ている。
ふと気づけば、自分のではない明らかな便の臭いもする。
ぼくの頭に先刻の、暗いピロティを大股で急いで歩く薄暗い体育教師の姿がフラッシュバックし、一瞬のうちに事態が頭のなかでつながった。
そうなのだ。先に入られてしまったのである。
先客がいるとは全くの予想外だった。
ぼくは内股になって激しく狼狽え、殆ど泣き出したいくらいだった。
こうなればやむを得ない、誤解される危険を覚悟で女子便所に入るしかなかった。
限界に達しつつある冷静さで女子便所内を覗いてみれば、全く幸いなことに女子便所には誰もいなかった。
ぼくは一気にトイレに駆け込み、ベルトに手をかけ、ズボンを下ろそうとするが、あまりに焦ってしまい、手がしどろもどろ、うまく動かない。ベルトが外せない。
うんこは今や完全に先っちょが出ていて、奇跡的にそこで踏み留まっていた。
もどかしい、なんてものではなく、自制すら利かなくなった、しっちゃかめっちゃかに動きまわる手でようやくベルトを外し、ジッパーを下げ、ズボンを下ろし、パンツを下げて、屈んで用を足そうとした瞬間、
全部、出てしまったのである。
見事に全部出た。
すぐ下に待ち構えていた便器にではなく、パンツの上に出してしまったのだ。
ぼくは中腰になった姿勢でしばらく固まってしまった。
パンツが便の重みで数センチずり落ちたのを自覚した。
ぼくは慌ててはいけない、もう戦いは終わったんだと心に念じた。
ぼくは便器にしゃがみ込んで、パンツを傾け、内容物を便器内に落とすことに成功した。
ペーパーがあったのは本当に有り難いことであった。ぼくはお尻を拭いて、それからズボンと汚れたパンツをやはり細心の注意と慎重さで脱ぎ、フルチン状態で改めてズボンだけを穿いた。
うんこは無論流すことができた。
問題はパンツだった。
ぼくは床にパンツを置いたまま、しばらく呆然とした。それから、おもむろに誰もいないことを確かめてから、とりあえず外に出てみた。
学校によくある金網のごみ箱がひとつ置いてあった。
しかし、そのままパンツを裸で棄てるわけにはいかない。
どうしようか、と思ってごみ箱のなかを見ると、誠に運のいいことに白いレジ袋があった。
ぼくは汚れたパンツをレジ袋に入れ、しっかり口を縛り、ごみ箱に捨てた。
それで、女子便所の前をウロウロして不審者扱いされぬうちに早く立ち去ろうと思ったのだが、ここでハッと気づいたのである。
あのパンツは名前が書いてあるんじゃないか?
そうなのだ。中学生の時、修学旅行に行った時使ったパンツで、確か名前が書いてあった筈なのだ。
もし、万が一、生徒の誰かが袋を開けてなかを覗いたとしたら、どうなるだろう。
内容物に仰天し、名前を発見して今度は爆笑するだろう。そうなればイワイは糞を漏らしたと全面的にバレるのである。
真顔になったぼくはごみ箱から袋をまた取りだし、なかを開けてみた。
やっぱり名前がマジックで書いてあった。
冷や汗をかく思いで、ぼくはその場で考え込んだ。いったいどうすればいいのか?
ぼくはまた焦り始めた。
早くしないと授業が始まってしまうのである。
ぼくはふと正面を見た。
そこにはコンクリートブロックの石垣があり、法面になっていて、上は二階ほどの高さで住宅の造成地になっていた。
あそこに捨てた方が安全なんじゃないか。
見つかるにしても、生徒に見つかる心配はないんじゃないか。
そう高校生の時のぼくは考えたのである。
ぼくは誰も周囲にいないことを確認してから、オーバースローで思いっきりパンツの入ったビニル袋を石垣の上の整地に投げ入れた。
三十年前のあのパンツ、どうなっただろうなあ。