光誉春琴恵照禅定尼、俗名、鵙屋琴(もずやこと)、号春琴と、門人の温井佐助(ぬくいさすけ)の愛の物語である。
春琴という女性は幼少より舞技に秀でていたのですが、9歳の時に失明してしまい、「これより舞技を断念して専ら琴三絃の稽古を励み、糸竹(しちく)の道を志」しました。
それで、舞いに劣らぬ才能を音曲でも発揮したのですが、
「春松検校(しゅんしょうけんぎょう)の家は靭にあって道修町(どうしょうまち)の鵙屋の店からは十丁程の距離であったが春琴は毎日丁稚(でっち)に手を曳かれて稽古に通ったその丁稚というのが当時佐助と云った少年で後の温井検校であり」ました。
で、稽古場で春琴の三味線や琴の音を聞くうちに、佐助は自分でも弾きたくなってしまって、他の奉公人には内緒に頼むと言って、
「ようよう粗末な稽古三味線を買い求めると番頭に見咎められぬように棹と胴とを別々に天井裏の寝部屋へ持ち込み、夜な夜な朋輩(ほうばい)の寝静まるのを待って独り稽古をし」てたんですが、これが家の人の聞きつけるところとなって、ばれました。
どこから三味の音が漏れるんや、となって、
「結局佐助の所為と分って一番番頭の前に呼びつけられ大目玉を喰った上に以後は断じて罷りならぬと三味線を没収」されてしまいました。
しかし、意外なところから救いの手が伸ばされました。とにかく、どのくらい弾けるものか聴いてみたい、ということになったんです。
言ったのは春琴です。
ところが、これが結構上手い。
「短時日の独稽古にしてはかんどころも確かなら節廻しも出来ていることが分って聴いた後には皆感心した」。
そこで春琴が佐助の志を憐れんで、稽古をつけてあげることにしました。
で、まあ、店の人としては「唯そういう風にして彼女の退屈が紛れてくれれば端のものが助かる云わば『学校ごッこ』のような遊戯をあてがい佐助にお相手を命じた」つもりだったんですが、
この春琴という女性、今風に言えばドSの女性でありまして、
「『佐助、わてそんなこと教せたか』『あかん、あかん、弾けるまで夜通しかかったかて遣りや』と激しく叱咤する声が屡々(しばしば)階下の奉公人共を驚かした時に依ると此の幼い女師匠は『阿呆、何で覚えられへんねん』と罵りながら撥を以て頭を殴り弟子がしくしく泣き出すことも珍しくなかった」
小生、いったいに甘ちゃんの、貧乏人のボンチ(ボンボン)育ちでして、こういう厳しい過酷な世界というのが苦手であります。
こういうS環境に極度に耐性がないんですが(せいぜい7、8年前、年末の運送会社の流し作業で怒鳴られた程度です)、
作者谷崎潤一郎は必ずしも春琴の教授の仕方が酷薄ではなかったことを強調して、
「昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである本年[昭和八年]二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに『人形浄瑠璃の血まみれ修行』と題して」云々と書いていますが、学校の部活動すら長続きしなかったぼくとしては、残念ながら劣等感しか感じません。
筒井康隆作『聖痕』には、幼少期に鰐の背中に乗ってはしゃいだことのある鰐娘が、長じて、高校二年の時、日本舞踊の師範になった場面があります。
「教室を開くと、意外なのは若い男たちが大勢入門してきたことだった。その多くはふだんから瑠璃の美しさや機分に憧れていた近隣の大学生、商店主、若旦那などであり、中には評判を聞きつけてずいぶん遠くから通ってくる者もいる。(略)そもそもが若い男弟子たちは瑠璃に向けた一向の楽欲から弟子入りしてきたのであり、ひとかどの舞踊の名手になろうなどとは思っていない者がほとんどである。しかしいざ稽古場での瑠璃が和服着備えて木形な態度で教えはじめると、いつも通学する彼女をひょうまづいているような態度ではとても好意は得られぬ、悪くすると破門の憂き目に遭うやも知れぬと悟り、けんめいに踊りを学ぼうとする。だが伝統的芸能とは無縁な現代的生活を送ってきた彼らのほとんどには、踊りの才能が皆無であった。/彼らに対して瑠璃は容赦がなかった。激しく叱責するくらいならまだ優しいのであり、扇子でもって彼らの頭を手繁く打擲した。普通の扇子ではなく舞扇だから、これは踊りで扇を投げたり、指ではさんで要返しをするため丈夫にできている上、要の部分には鉛の錘が仕込まれている。この舞扇を逆さに持ち、力を籠めて頭頂をひっしょなしに打たれるのだからたまったものではない。目がくらみ、頭が朦朧とする。そして男たちの中には、これがまた堪えられないと喜ぶ者もいて、稽古帰りにはこんなひょうひゃくも出るのだ。いやあ今日はまた、わたくし、二度ばかりすばらしい鳥舞(トリップ)をさせていただきましてな。ひっひっひっひっひっ」
これは、まあ笑いにもなっているわけですが、さて、春琴の場合はそうは言っても並大抵ではなかったようで(もちろん、フィクションのお話ですが)、
「或は云う男の師匠が弟子を折檻する例は多々あるけれども女だてらに男の弟子を打ったり殴ったりしたという春琴の如きは他に類が少いこれを以て思うに幾分嗜虐性の傾向があったのではないか稽古に事寄せて一種変態な性慾的快味を享楽していたのではないかと」疑う人までいたという。
そういう具合だったので、やはり少しく行き過ぎがあったようで、犯人はわかりませんが、ある日賊に寝込みを押し入られ、鉄瓶の沸騰したお湯を頭に被せられてしまいました。
師弟愛なのか?男女の愛か?
佐助がいかに対処したか、本編をお読みください。
春琴という女性は幼少より舞技に秀でていたのですが、9歳の時に失明してしまい、「これより舞技を断念して専ら琴三絃の稽古を励み、糸竹(しちく)の道を志」しました。
それで、舞いに劣らぬ才能を音曲でも発揮したのですが、
「春松検校(しゅんしょうけんぎょう)の家は靭にあって道修町(どうしょうまち)の鵙屋の店からは十丁程の距離であったが春琴は毎日丁稚(でっち)に手を曳かれて稽古に通ったその丁稚というのが当時佐助と云った少年で後の温井検校であり」ました。
で、稽古場で春琴の三味線や琴の音を聞くうちに、佐助は自分でも弾きたくなってしまって、他の奉公人には内緒に頼むと言って、
「ようよう粗末な稽古三味線を買い求めると番頭に見咎められぬように棹と胴とを別々に天井裏の寝部屋へ持ち込み、夜な夜な朋輩(ほうばい)の寝静まるのを待って独り稽古をし」てたんですが、これが家の人の聞きつけるところとなって、ばれました。
どこから三味の音が漏れるんや、となって、
「結局佐助の所為と分って一番番頭の前に呼びつけられ大目玉を喰った上に以後は断じて罷りならぬと三味線を没収」されてしまいました。
しかし、意外なところから救いの手が伸ばされました。とにかく、どのくらい弾けるものか聴いてみたい、ということになったんです。
言ったのは春琴です。
ところが、これが結構上手い。
「短時日の独稽古にしてはかんどころも確かなら節廻しも出来ていることが分って聴いた後には皆感心した」。
そこで春琴が佐助の志を憐れんで、稽古をつけてあげることにしました。
で、まあ、店の人としては「唯そういう風にして彼女の退屈が紛れてくれれば端のものが助かる云わば『学校ごッこ』のような遊戯をあてがい佐助にお相手を命じた」つもりだったんですが、
この春琴という女性、今風に言えばドSの女性でありまして、
「『佐助、わてそんなこと教せたか』『あかん、あかん、弾けるまで夜通しかかったかて遣りや』と激しく叱咤する声が屡々(しばしば)階下の奉公人共を驚かした時に依ると此の幼い女師匠は『阿呆、何で覚えられへんねん』と罵りながら撥を以て頭を殴り弟子がしくしく泣き出すことも珍しくなかった」
小生、いったいに甘ちゃんの、貧乏人のボンチ(ボンボン)育ちでして、こういう厳しい過酷な世界というのが苦手であります。
こういうS環境に極度に耐性がないんですが(せいぜい7、8年前、年末の運送会社の流し作業で怒鳴られた程度です)、
作者谷崎潤一郎は必ずしも春琴の教授の仕方が酷薄ではなかったことを強調して、
「昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである本年[昭和八年]二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに『人形浄瑠璃の血まみれ修行』と題して」云々と書いていますが、学校の部活動すら長続きしなかったぼくとしては、残念ながら劣等感しか感じません。
筒井康隆作『聖痕』には、幼少期に鰐の背中に乗ってはしゃいだことのある鰐娘が、長じて、高校二年の時、日本舞踊の師範になった場面があります。
「教室を開くと、意外なのは若い男たちが大勢入門してきたことだった。その多くはふだんから瑠璃の美しさや機分に憧れていた近隣の大学生、商店主、若旦那などであり、中には評判を聞きつけてずいぶん遠くから通ってくる者もいる。(略)そもそもが若い男弟子たちは瑠璃に向けた一向の楽欲から弟子入りしてきたのであり、ひとかどの舞踊の名手になろうなどとは思っていない者がほとんどである。しかしいざ稽古場での瑠璃が和服着備えて木形な態度で教えはじめると、いつも通学する彼女をひょうまづいているような態度ではとても好意は得られぬ、悪くすると破門の憂き目に遭うやも知れぬと悟り、けんめいに踊りを学ぼうとする。だが伝統的芸能とは無縁な現代的生活を送ってきた彼らのほとんどには、踊りの才能が皆無であった。/彼らに対して瑠璃は容赦がなかった。激しく叱責するくらいならまだ優しいのであり、扇子でもって彼らの頭を手繁く打擲した。普通の扇子ではなく舞扇だから、これは踊りで扇を投げたり、指ではさんで要返しをするため丈夫にできている上、要の部分には鉛の錘が仕込まれている。この舞扇を逆さに持ち、力を籠めて頭頂をひっしょなしに打たれるのだからたまったものではない。目がくらみ、頭が朦朧とする。そして男たちの中には、これがまた堪えられないと喜ぶ者もいて、稽古帰りにはこんなひょうひゃくも出るのだ。いやあ今日はまた、わたくし、二度ばかりすばらしい鳥舞(トリップ)をさせていただきましてな。ひっひっひっひっひっ」
これは、まあ笑いにもなっているわけですが、さて、春琴の場合はそうは言っても並大抵ではなかったようで(もちろん、フィクションのお話ですが)、
「或は云う男の師匠が弟子を折檻する例は多々あるけれども女だてらに男の弟子を打ったり殴ったりしたという春琴の如きは他に類が少いこれを以て思うに幾分嗜虐性の傾向があったのではないか稽古に事寄せて一種変態な性慾的快味を享楽していたのではないかと」疑う人までいたという。
そういう具合だったので、やはり少しく行き過ぎがあったようで、犯人はわかりませんが、ある日賊に寝込みを押し入られ、鉄瓶の沸騰したお湯を頭に被せられてしまいました。
師弟愛なのか?男女の愛か?
佐助がいかに対処したか、本編をお読みください。