館山・南房総の旅の最後は、野島埼灯台。房総半島の最南端である。

 

実は、海運会社で席を温めたこともあるのだが、野島埼は運航上、要注意すべき場所だった。東京湾という大消費地から東京湾を出る場合、大きく、東に向かう場合、西に向かう場合、東京湾を出てから直角に右かに曲がるわけだ。

 

 

そして、船は直角に曲がるのは苦手だ。そして、最小回転半径は船によって異なるが、船を見てもわからない。

 

 

ということで、東京湾を出て向きを変える時が危ないわけだ。

 

野島埼灯台は非常に重要な場所にある一方で、観光地になっている。アクアラインのおかげで都心からも近いし、なにしろ眺望が良い。ただし立派な灯台なので、階段を100段以上登らないといけない。

大地震の時の書棚の崩壊によってヤバいことにならないように書棚の本を重さ順に下から並べないといけないのだが、もっとも軽い部類の本の中の一冊が、エスペラント語の将棋問題集。

どこで入手したのかは覚えていない。全く知らない言語なので有償で勝ったとは思えない。何しろ、将棋の英訳の場合、例えば飛車はチェスのルークと同じだから「R」とかだがエスペラントでRは王将(レゴ)で飛車はT(Turo)、角はK、金はO、銀はA、桂はCの上に^が必要で、香はLで、歩はP。桂のCの上に^を付けるのは普通のキーボードでは無理。エスペラント語にはgとcとsの上に^を付けたり、uの上に^の逆向きを付けたりする。ちなみに将棋は、Sakoだが、Sの上に^が必要だ。




著者の上田友彦氏は、すでに故人ではあるが昭和大学名誉教授でエスペラント将棋クラブ会長だったそうで、その時の発行(2001年)。

本の内容は、25問の詰将棋と25問の「次の一手」。実は相当難しい。内藤九段の作と書かれている。

第一問目は初手▲2二金からの7手詰で、2手目が△同玉だと7手詰で駒余りなので玉方は△同馬とするのだが、駒余りの時のルールとかエスペラント語で書かれているようにはみえない。

 

 

「次の一手」も難しいが、第1問を今週の問題としてみる。7手目で事実上の必死。

 









 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

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COEDOビールをいただく。川越の地ビール。地ビールは各地で醸造されているが、COEDOビールの最大の特徴は『苦味』だろうか。流行とは真逆。いただいた六種のビールのうち、白ビール以外は苦味が強い。大手4社に欠けているのは、この苦味だろうか。

 

 

日曜から毎日1本ずつ飲み続けて金曜で終わる。あと一本はどうしよう。休肝日か?代わりに焼酎をロックで飲む。

 

ところで、小江戸を名乗る町は、知っている限りでは、川越(埼玉)、佐原(千葉)、甲府(山梨)だが、あまりにも江戸とはサイズが異なる。

 

小京都は多い。西尾(愛知)、山口(山口)他にもあるだろう。

 

ところで、小難波とか聞いたことがない。大阪副都心構想だが、机上の空論のうちはいいが、実現しようとしても、例えば「あべのハルカス」の上から地上を見ても、空いているスキマは大阪城公園ぐらいしかない。どうするつもりなのだろうか。

館山・南房総の旅の終盤、安房神社を訪れる。高家神社も由来が数奇だが、安房神社の由来は正統であり、かつ偉大だ。

 

 

天太玉命(フトダマノミコト)を祖神とするが、祭神ではなく単なる「祖神」である。何しろ天照大神が日本に飛来した時に、一緒に五人の部下を連れてきた中の一人。つまり本物の神様となる。その子孫が忌部氏となり、産業振興の神となった。そして活躍の場を房総半島に求めたわけだ。渋沢栄一氏のようなものだ。商売や工業を司る神様ということで、現在では『金運神社』として有名になっている。

 

 

といっても産業振興の神であるので、『幸運により金持ちになる』のではなく『ビジネスによって金持ちになる』方向の金運なのだ。もちろん、政治力によって『賄賂や裏情報で金持ちになる』というような人には天罰を下すのだろうか。

 

なお、境内に吊るされた数多くの絵馬の中に、正確な現住所と本名を記した上、○○○○万円儲かった、と正確に金額を書かれた御礼の一枚を見つけた。かなりの不用心かな。あるいは、おとり捜査の種蒔き?

『花色木綿』には二種類のまったく異なる落語がある。一つ目は幽霊が主役で登場する。長屋で独り暮らしの男の部屋に、幽霊が現れる。この長屋の以前の住人だ。この部屋は私のものだと幽霊が言い張る。

 

そして、現住の男に対し、幽霊は、あれこれ話をするわけだ。特に生前の商売柄、着物に関する噺が多く、幽霊の着ている着物も、花色の木綿のわけだ。花色いうのは紺色に近い。紺色の木綿ということで、庶民のちょっと上ぐらいか。ユニクロの紺色Tシャツみたいな感じだ。

 

春風亭一花さんの『花色木綿』は泥棒が登場。ある長屋に盗みに入ろうとした泥棒はあまりの貧困さに持ち帰れるものがない。しかも主が帰ってきたので、しかたなく縁の下に避難。長屋の貧乏人は、大家に対して「家賃を払おうと用意した金がぬすまれた」と泥棒を使って言い訳する。大家は、盗人被害届を奉行所に届けようと、着物や布団の色を尋ねるが、和服の裏の生地は花色木綿だし、布団の裏も花色木綿、とワンパターン。

 

それを聞いてあきれたのが縁の下の泥棒。盗もうにも金目のものが何もなかった上、着物や布団など存在しなかった者の罪も被せられそうになり、床下から登場する。

 

庶民は木綿を来て、上級市民は絹か麻地を着ていたというわけだ。といっても白ではなく紺色(花木綿色)ということで困窮する市民生活をテーマにしたものとも言える。

『世界でいちばん透きとおった物語』は2022年に新潮文庫のために書き下ろされたミステリである。なぜ、単行本にならずに文庫になったのかは、最後まで読むとわかる人にはわかるが、わからない人にはわからない。

 

2種類の大きさの本にはならないわけだ。

 

主人公の藤阪燈真の母は作家の宮内彰吾の愛人だった。ただし、生まれた頃から一度も作家に会ったことはないし、彰吾が成人してから間もなく母も交通事故で亡くなってしまう。

 

そして、ある日、宮内彰吾が病死することになり、関係者がさまざまな理由で奔走を始める。なにしろ、そこそこのミステリ作家であり、愛人も次々に替えていたりするが、本妻の息子は品性に欠けるし、編集者たちは最後の600枚の原稿を探し始める。

 

読後、整理していて気付いたが、誰一人、彼の死を心から悲しんだりしないわけだ。心からどころか、本作には「深い悲しみ」は皆無。

 

そして、原稿探しはバイト生活の燈真が担当することになり、愛人たちをはじめ関係者一同の間の情報を集めて、徐々にゴールに近づいていくわけだ。

 

そして、最後の600枚の原稿は愛人の一人が読んだだけで、私小説風の内容の公開を怖れた人の手できれいさっぱり消えてしまったわけだ。

 

藤阪燈真は子供の頃に脳の高度治療を受けていて、そのために視力が常人とは異なっていて、画像や一枚のペーパーや電子書籍は読めるが、本が読めない。裏表印刷された紙は視力が良すぎて紙の裏の文字と表の文字が同時に見えて表ページの空白の部分にも裏ページの文字がはっきり見えて混濁してしまうわけだ。

 

そして、主人公は、これらの顛末記を『世界でいちばん透きとおった物語』として発表するのだが、自分で読みやすいように文庫本の奇数ページの裏の偶数ページには表面の文字の裏に必ず文字を配置して、白地のところの裏は必ず白地になるように組んであるわけだ。どういう作業をしたのか、見当がつかない。

辺見じゅん氏の『収容所から来た遺書(1989年出版)』が原作の映画。1945年から1956年の11年間も日本人を捕虜収容所で強制労働させたソ連の仕打ちが、いかに過酷だったのかは、帰国時に数々の証拠品を没収されたため、主に言語として日本に伝えられているのだが、作家による綿密な調査を基にした映画で、より明確化された。

 

辺見氏は特に反共主義者というのではなく。戦争によって引き起こされた人類の悲劇を書いていて、本作の前には『男たちの大和』という沈没した戦艦からの生還者が戦死者に報告に行き、許しを受けられないというドキュメンタリーも書いている。

 

主演の山本幡男役を二宮和也、妻を北川景子が演じている。不釣り合いのキャストかもしれない。

 

ラーゲリと言えば以前、新入社員として初めて勤めた会社には退職間近の時代がかった丸メガネの老部長がいて、東大の文科系出身と言っていたが、大学の時、徴兵されてシベリアで抑留されていたと言われていた。他の社員よりも、かなり年上で孤立的で、あまり話を交わす人もいなかったのだが、今思えば、取材させてもらえばよかったなと思うが、既に決定的に困難な状態になっている。

 

これを書くのに調べると、故辺見じゅん氏は「角川家のひとびと」であった。原作から33年、没後11年経ってから映画化された。なぜかな。

南房総市にある高家神社(たかべ神社)に行く。地図の上だと太平洋岸から近くとなっているが、かなり高い場所にある。おそらく、最初にここに神社の位置を決めた人々は、古来よりの津波被害のことを知っていたのだろうか。

 

 

料理の神様(祖神)。

 

料理の神様と言われている。第12代天皇の景行天皇の時代に親戚であった磐鹿六雁命のハマグリ料理を食べて感動して大膳職という肩書を与えたわけだ。焼き蛤なのか潮汁にしたのかは不明。パエリアかもしれない。(*景行天皇は84歳で天皇になり60年間在位したとされるが、天皇の1年は半年をあらわすという説がある。証拠は乏しいが、それだと辻褄が合うというわけだ)

 

 

その後、磐鹿六雁命は祭神に昇格し、子孫の高橋氏の末裔が全国にいくつかの高家神社を興したとされる。927年の延喜式神格帳には記載されているものの、その後、消滅したものの、1620年にこの地より木像と鏡が発見されたことにより単なる神社が再興された。さらに、1819年になり、鏡に書かれていた文字から磐鹿六雁命が祭神であることが判明し、高家神社として今日に至っている。

 

 

境内には、包丁奉納殿がある。筆の神様を祀る神社には使いつぶした筆や鉛筆を収める小箱が置かれているが、さすがに包丁奉納殿は厳重に戸締りがなされている。

電子書籍で『将棋400年史』を読む。400年以上前の前将棋史も含まれている。

 

 

残念ながら「持ち駒復活性」の始まりについては明確にはなっていないとされている。私見だが、駒の形と持ち駒制は深く関係していると思っている。持ち駒が使えるように日本の駒は向きと文字で所属がわかるようになっているが、先手と後手が同じ駒を使っていない将棋だと持ち駒を使うことはできない。

 

それと、幕末から明治昭和についてはもっと詳しくてもいいかもしれない。昭和後期以降の話は、あまり詳しくなくてもいいような気がする。

 

さらに、黒歴史をスルーしているような気がする。真剣士とか大道将棋とか・・・

たくさんある。

 

 

今週の問題は9手詰。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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房総半島の先端は西側に向かって尖っていて、南側は緩やかな曲線(フラワーライン)になっている。

西側の東京湾に向かっている場所にあるのが洲崎灯台。南に向かっているのが野島崎灯台。洲崎灯台と三浦半島の観音崎灯台を結んだ線の内側が東京湾だ。





洲崎灯台は無人なので、私有地の無人駐車場に車を止めて料金箱にお金を入れることになっているようだが、駐車場に車を止めたらすぐに、男性が来て料金を回収。もしかしたらなりすましだったかもしれない。灯台に一番近い駐車場と書かれていたが、もっと近くにも駐車場があった。





灯台内部には入れないので、観光用ではないのだが、逆に、雰囲気がある。ヴァージニア・ウルフ女史の名作『灯台へ』に登場する灯台のような趣だ。もちろん、灯台の下まで行っても、うれしいことも悲しいこともない。あえていうと、天気が良すぎて海面からの蒸気で富士山の絶景が見えないのが残念ということになる。

 


 

 

そして、洲崎灯台の近くにある洲崎神社。鳥居越しの富士山がフォトスポットなのだが、富士山は見えない。お社への階段は見た感じ百段くらいか。登らないことにする。念のため、鳥居は階段の下にある。