『群衆』(原題は、Meet John Doe)は1941年5月に公開された米国映画。1941年と言えば、12月には真珠湾で太平洋戦争が始まり、日を重ねず米国はドイツとイタリアに宣戦布告を行った。

 

この映画、政治の混迷で貧しい人が多かった米国に、救世主として現れたジョン・ドゥー(演:ゲーリー・クーパー)という男とこの男を人為的に作り出した新聞社のコラムニストの女性(バーバラ・スタンウィック)を中心にした喜劇とされるが、深く考えると悲劇ではないかとも感じる。

 

 

簡単なあらすじ:

ある地方新聞が経営困難になり、リストラを始める。コラムニストもクビを言い渡されたが、出社最後の日に、ジョン・ドゥーという失業者が、不正がはびこる社会に抗議してまもなくのクリスマス・イブに市役所の上から飛び降りるという投書を創作して記事を書く。

 

そうすると、翌日から大混乱が始まり、「私が本物のジョン・ドゥーだ」と言い出した人間が多数現れ、その中から元プロ野球の選手が選ばれ、ジョン・ドゥーになりすます。さらにジョン・ドゥー会が続々と結成され始めた。

 

さらに女性コラムニストの書いた原稿をラジオのマイクに向かって語りはじめ、「隣人を愛する」という運動は全国に広がっていく。

 

そして、彼の周りにいる政治家たちは、人気に便乗して大統領選挙に出馬しようとするのだが、ついに単なるスピーチロボットの男が自分の意思で行動を始めてしまうわけだ。

 

 

醜い政治屋と大衆の味方に白黒をつけるような映画で、最終的には大衆サイドが勝つような感じで終わるのだが、実は、ナチスドイツは群衆的熱狂の中でうまれたわけだし、・・

この落語、泥棒ネタである。落語の場合、登場する泥棒は小悪人のことが多い。石川五右衛門とか鼠小僧といった有名なのは出てこない。

まあ、落語は江戸の時代から保守的な小市民に愛されていたのだろう。それに対して講談は体制批判的な内容が潜んでいる。

現代では、講談の世界も批判精神を失っているように感じる。

さて、泥棒の世界も楽じゃない。泥棒の数が増えれば、一人当たりの稼ぎも減るし、庶民も防犯意識が高くなる。盗みに入ってつかまれば、牢に繋がれ裁きを待つ。当時は泥棒には有期刑というのはなく、死罪か腕に入れ墨入れられて江戸から所払い。入れ墨入りでは江戸以外でもまっとうな仕事はできない。

という中で、泥棒稼業を始めた男はベテランから手ほどきを受け、仕事を始める。

まず、不在確認から。中に人がいる場合、押し入りということになる。長屋あたりだと浪人中の貧乏侍がいるかもしれない。刃渡り90センチの日本刀を振り回されたらまずいことになる。

ということで、その日もいつも通り長屋の中の一部屋に忍び込んだものの、残念ながら獲物なし。貧乏過ぎた。さらに悪いことに住人(間借り人)が帰ってきたので、あわてて床下に隠れるが、物色した跡を見るや住人は大家を連れてきて、溜まった家賃を払おうと思っていたが家財道具を盗まれたので払えないと言い始める。

ここから、この『出来心』に進むか、『花色木綿(着物の裏地)』に進むか分かれるのだが、『出来心』の方が手短かになる。ウソつきの住人に腹を立てて、床下から泥棒が現れて、つい出来心で泥棒に入ってしまったと許しを得るのだが、それを悪用して家賃の延納を試みた住人の方はウソを追及され、こちらも『つい出来心で・・』となる。

落語家としては、一つ覚えておいて、サゲのところがわかれるだけなので、お得感があるのだろう。もっとも、変わるのはサゲの部分なので、混同してしまうと修正不能となる。

紙製品各種を整理していて、発見したのが、ある色紙。
 



 

「おのおの特色ありて芽出たし」と書かれていて、三つの野菜が描かれている。ピーマンと人参と不明な野菜。玉ねぎかな。しかし玉ねぎの絵を描くのに上から描く人はいないような気もする。

實篤と書かれているので、武者小路実篤なのだろう。裏に『不許複製』と書いてある。これは、複製品を出したらダメいう意味ではなく、複製品を作るには実篤の許可がいるということのようだ。

この『おのおの特色ありて芽出たし』というのは言い換えると、『十人十色』かな。十色では肯定的な意味が出ないかもしれない。

また、『おのおの特色ありて・・・』は吉田松陰のコトバとも言われるのだが、彼は「〇〇に向かって進め!」というような過激な思想だったはず。少し違和感があるが、どうも獄に繋がれていた時に他の未決囚に対して、『人賢愚ありと雖(いえど)も、各々(おのおの)一、二の才能なきはなし』と語っていたそうなので、そこからの話なのだろうか。少し上から目線のように感じる。

ところで、詩人の金子みすゞの作品に、『みんな違って、みんないい』というのがあるが、これは同義語だろう。むしろ『みんな違って・・・』の方がいいかもしれない。

一方、日本の各種議員を見ていると、『みんな違って、どうでもいい』というように感じるわけだ。

自宅の書棚とか整理していたら紙袋に入ったままの色紙が何枚か見つかった。そのうち何枚かは記憶にあったのだが、記憶がないものもある。将棋ネタが思いつかない時には、それを蔵出ししてみようかなと、その中で生まれ年が古い順にやってみようかなと思っている。色紙は基本的には本人が自筆で書くので、印刷された扇子よりもナマ感がある。

 

まず花村元司九段(1917年~1985年)の「心雅」。

 

 

 

書体としてはまとまっているが、ゴシック体のように太さも墨の濃淡も一律的に見える。丁寧に書いたということは間違いない。ご存じの通り、元は真剣士。

 

以前、書かれた本を読んだことがあるが、何手か先に香車が必要な場合、1九の香車をなにげなく床に落としておいて、そっと駒台にのせるというのや、駒を打つときはマスの中ではなく、線の上においておき、場合によっては隣のマスにいたことにするとか革新的なことが書かれていた。

 

九段というのは1976年に贈られたそうだ。

 

亡くなる前年の1984年度の成績は20勝15敗と勝ち越している。最後の対局はB級2組の髙橋道雄戦で、これに勝ってB2級で5勝5敗。この勝局が最後の一局となり、1986年度は一局も指すことなく永眠されている。

 

現在のルールでは現役最終局が勝局というのはほぼない(中原誠16世名人は例外)。

 

 

今週の問題。11手詰。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6月中旬に福井、名古屋、伊勢と旅行したことを、断続的に書いていたらかなりの日数がかかってしまった。

福井では、芦原温泉、東尋坊、恐竜博物館、一乗谷、永平寺。名古屋では東山動物園。あと伊勢神宮。食べ物は高級旅館にソースカツ、名古屋でも名古屋めし各種、伊勢では伊勢うどんと赤福といったところで、時間の関係で落としたのは三国の市街地(高見順の生家など)と伊勢にある猿田彦神社ぐらいかな。

今回は車は使わず、全行程公共交通機関と旅館の送迎だけ。

自宅の近くにある新横浜駅から新幹線で東京駅、そして東京駅から新幹線で福井駅。福井の周辺はJR九頭竜線とか、えちぜん鉄道とかバスを利用。福井駅から名古屋駅へは敦賀駅までは新幹線、そこからは在来線特急で名古屋駅へ。名古屋から伊勢市の報復は、別途JR。そして名古屋駅から新横浜駅までは新幹線。

つまり、新横浜→東京→福井→名古屋→新横浜と環状に繋がっているわけだ。となると、正式名称ではないが、いわゆる「一筆書き乗車券」になる。(福井と名古屋では別料金で輪からはみだした部分を払うのは当然だが。)

ただ、JRグループは乗車券の特例を色々と廃止していて、例えば、長距離の往復割引廃止とか青春18きっぷの断続使用禁止とかやっている。

一筆書きは以前は可能だったのだが、現在はどうなるのだろう。

一筆書きで新横浜→東京→福井→名古屋→新横浜だと乗車券は13,420円だが、福井駅で切符を買い直すと2枚になり、9,130円+8,360円の17,490と4,000円程度の差になる。

そこで、とりあえずAIに聞いてみようと、1社に聞いてみたのだが、はっきりとNOと言われたが、信じられないので、予約サイトではなく新横浜駅の有人窓口で説明したところ一筆書き料金で購入できた

 

 

ということで、新ためて4社のAIに無料で同一の質問をしてみた。解答はばらばら。

1.「Agent  i」yahoo
買えないと決めつける経路ではありません。ただし、一般的な片道乗車券ではなく、窓口で経路指定して発券してもらう前提で考えるのが安全です。
 (参照したページ:chiebukuro)

2.「Gemini」google
はい、新横浜駅からご提示のルート(東京・福井・名古屋経由)で、新横浜駅に戻る乗車券(片道乗車券)を購入できます。

3. 「Copilot」 MICROSOFT
結論だけ先に言うと、その経路(新横浜→東京→福井→名古屋→新横浜)を1枚の乗車券として買うことはできません。 理由は JR の乗車券制度が 「重複乗車(同じ区間を2度通る)」を禁止しているためです。
あなたの提示したルートはこうなります:
    新横浜 → 東京(東海道新幹線)

 東京 → 福井(北陸新幹線)

 福井 → 名古屋(特急しらさぎ → 東海道本線)
 名古屋 → 新横浜(東海道新幹線)
このうち 東京~名古屋~新横浜 は、 「東海道新幹線の同一経路を往復する」形になります。
JR の旅規則では、 同一線区を重複して通る乗車券は発売不可 と定められています。

つまり、
 新横浜→東京(東海道新幹線)
 名古屋→新横浜(東海道新幹線)
この 同じ線区を2回通る ため、1枚の乗車券としては成立しません。

4.「ChatGPT」 OpenAI
はい、以前は「連続乗車券」として購入できる経路でしたが、現在(2026年9月)は制度が変わっています。
ご希望の経路が、新横浜 → 東京 → 福井 → 名古屋 → 新横浜
という一筆書きのような旅行であれば、2026年3月14日以降、JRの「連続乗車券」は発売終了しています。往復乗車券も同時に発売終了しています。


つまり、同じ質問に対して、「可能 1」 、「不可 2」、「不明 1」ということになる。実際には可能だったので、自信たっぷりに不可としたAIの主張を見ると、

Copilotは、東京~名古屋~新横浜を往復するので不可となっているが、往復しているわけではないのは自明なので、何を勘違いしたのだろう。重複しているのは新横浜駅であって、同一線区を通っているわけではないわけだ。

ChatGPTは、「連続乗車券」は「往復乗車券」とともに廃止になったとされていて、これは正しいのだが、「連続乗車券」は「一筆書き」とは異なるので、論理がつぶれている。連続乗車券というのは、今回でいえば名古屋から伊勢市への寄り道を加えることは同一経路を往復するので不可ということ。

Gemini には、「一周して出発駅に戻る経路についても片道乗車券として販売する扱いがある」と書かれていて、JR九州によるとなっている。

つまり、今回はGeminiは正しく、Copilotは思考の途中で誤りがあり(東海道新幹線の往復と誤認)、ChatGPTは、一筆書きと連続乗車券を同一としてしまう誤りがあり、Agent iは、そもそも出典が「知恵袋」というところから信頼性に欠けるということだろう。ただ、「よくわからないので窓口で発券してもらうように」と謙虚に自ら認めているところがいいとも言える。
 

著者の二作目の長編だそうだ。登場人物は少ない。早川清。「きよし」ではなく「きよ」。明治時代のような名前だ。つまり男ではなく女。かつてバレーボール部のエースであったが、彼女の口禍により他の部員が自殺してしまう。それ以降バレーとは離れ、教員を目指し、とりあえず1年契約の国語講師になる。22歳。独身。弟がいる。ケーキ作りの教室に行き、教室の講師と不倫関係となっている。

そして、文芸部の顧問になるが、文芸部の部員は1名。スタイルのいい高校3年の垣内君。言うことに奥が深い。川端康成を研究している。人間的には彼の方が教師で顧問の方が不良少女っぽい。

一年間を通じて、歪んだ性格の清が周りの人間から生き方のコツのようなものを習得していき、教員試験に合格し、不倫関係を終結し(というか自分の失敗で捨てられる)、垣内君も卒業し、自分は講師の身分から別の高校の正式な教員として転勤していくわけだ。

気になるのが、清先生と垣内君の関係。通常の小説なら、清先生が大学生になった垣内君へのストーカー行為を始めるということなのだろうが。


本書は、三浦しをん氏のエッセイ兼書評で推薦されていた一冊。同様に本書の中で文芸青年の垣内君が紹介したのが川端康成の『抒情歌』と『骨拾い』。それと、夏目漱石の『夢十夜』。読むべきリストに書き加えてみた。

ところで、一般に高校以上の学校では図書館というが、中学以下の学校にあるのは図書室。その差はなんだろう。

 

アーノルド・シュワルツネッガー主演のアクション映画。筋立ては初期の『007』シリーズとよく似ている。007は英国のスパイだが、これを米国版にした感じだ。シュワ氏演じるハリー・タスカーの属するオメガセンターは米国のスパイ組織。敵対するのはテロリストグループの「真紅のジハード」。ソ連製の原爆4個を手に入れ、米国がペルシャ湾から手を引かないと、米国主要都市に原爆を打ち込むつもりだ。

 

さらに捜査中のハリーは自分の妻ヘレン(演:ジェイミー・リー・カーティス)の不倫を疑い出す。

 

そして、バトルの多様性というか、逃げる首謀者を追いかけるのが、車ではなく馬。さらに垂直離着陸にハリヤー戦闘機。撮影で使われて、破壊された物体って処理費用が高いような気がする。

 

ともかく大掛かりだ。監督のジェームズ・キャメロンは大監督で、本作の3年後に「タイタニック」を撮っている。

 

こういう映画を観ていると、うつ病とかならないのだろう。と言っても、何でも暴力や脅迫で片付けようと考える人(大統領を含む)が増えるような気がする。

NHKのラジオ番組「蔵出し名人会」で1983年の収録で『いが栗』を聴いた。

 

故桂歌丸師匠は、かなり古典落語の発掘作業をされていて、本題の『いが栗』もその一つだそうだ。落語であり、怪談である。

 

あらすじ:

山の中で道に迷った男が、急いで山を下っていくと、古びた辻堂でボロをまとった僧侶がいた。髪は伸び放題でいが栗のような状態で気味が悪く、道を聞いても無言で動かない。

 

しかたなく歩き続けると村はずれの家があり、泊めてほしいと懇願するが、具合の悪い娘がいるからと断られるが、なんとか一夜の宿を貸してもらうのだが、夜中になると娘の部屋からうめき声が聞こえてきて、何か悪霊に祟られているようだ。

 

朝になり、男は、はたと思い付き、昨日みかけた僧侶に会いに行き、「おまえのせいで娘が死んだ」と嘘をつく。すると、いが栗頭の僧は、見る間に骨と皮に変じて死んでしまう。

 

その後、昨夜の家に向かうと、娘は全快している。男は娘と結婚することになり、婚礼の儀が終わると、天井裏から鼠除けのために置かれているいが栗が一つ落ちて花嫁の頭にあたる。

 

「まだ、いが栗が祟ってやがる」でサゲる。

 

鼠除けにいが栗を使うというのが有効かどうかは知らないが、そういうものだったそうだ。

 

僧が娘に祟った原因はわからないが、何らかの無念をもったまま亡くなったのだろうか。確か映画「シックス・センス」がそういう筋だった。自分が亡くなった後、成仏できない魂が現実世界を彷徨うわけだ。すごく怖い映画だ。

 

浮遊する霊魂にウソをついてとどめを刺すとは・・巨大ないが栗の怨霊に祟られだろう。

福井、名古屋、伊勢と廻った旅行を断続的に書いてきたが、一つ落としていた。

 

JR福井駅内にあるパブリックアートである『越前幸幸』。壁面に取り付けられていて、高さが2.5m、横幅が4.5mかな。

 

 

緑の部分が福井県の自然をあらわし、赤の部分が福井の生命をあらわしているそうだ。植物と動物ということかな。

 

こまかく見ると。赤色の部分は表面が平らだが、その他の部分は小さな板が継ぎ合わされているようにみえる。徳島県の大塚美術館にある世界の名画の復元も陶板で作られているので、そういう技法なのだろう。赤は漆の色なのだろう。

 

2005年の製作だそうだ。

 

すでに故人で作品だけが残っていて、生地である安曇野には『安曇野髙橋節郎記念美術館』があり、豊田市の豊田市美術館には髙橋節郎館という別館もある。

 

 

なお、有名な作品の中には長野五輪の時のメダルのデザインがあるそうだ。

白玲5期で棋士資格(フリークラス)獲得ルールができたとされるが、当の西山白玲は5期目がかかるタイトル戦が始まるときも、棋士になるとは明言していないし、否定もしていない。

このルールについて規定そのものを見ていないし、ネット上でいくら探しても見つけられないのだが、西山さんは見ているのだろうか。そもそも全女流棋士に関係があるので公開されているのだろうが、口が堅いのだろうか。

大小の不明なことがあるが順不同に言うと、

1.    5期というのは5期目が終わった時なのだろうか?あるいは5期目のタイトル戦で勝った時なのだろうか。

2.    権利を行使できる時期は、一回だけなのだろうか?あるいは〇年間とか期間なのか、あるいはもっとずっと長い猶予があるのだろうか。

3.    もっとも重要な問題だが、女流棋士との二刀流になるのだろうか。あるいは単なるフリークラス棋士になるのだろうか。

特に3.の二刀流かフリークラスかというのは究極の問題だろう。例えば白玲戦の優勝賞金は5000万円である。Aクラスの棋士でも遠く及ばないわけだ。それほど高額でなくても女流棋士でも8つのタイトル戦がある。一方、男子棋士のタイトル戦の8つの維持はあやしい限りだ。

背景にあるのは、藤井聡太六冠にあやかって、棋戦スポンサーになりたい会社があっても、彼のタイトル戦スケジュールにすき間がないから、それなら女流棋戦で、ということになる。女流棋士の方が人数が少ないので対局料の総額も少ない。

棋士を目指している子は「棋士になりたい」とは言うが、実際には「棋士になって収入を得る」ということのはずで、収入激落ちを受け入れられるわけもないと思うのだが。


今週の詰将棋。手数は?手。

 









 

 

 

 

 

 

 

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