小倉船(演:月亭文都)。小倉船とは関門海峡の渡し船。川の渡しではなく海峡の渡しは潮流が時刻によって複雑で慎重な操船が必要になる。話は小倉から下関へ向かう船中で起こる。

 

まず、乗船客の中に、唐物屋の男がいて、長崎からガラス製の潜水具を運んでいた。潜水具はフラスコといってガラス製の容器だ。化学の実験用のフラスコの20倍位の大きさなのだろう。これが伏線になっている。

 

それと船中で賭け事をしている風景が語られる。その中の一人がトイレをすませようと船尾部にある排泄物海中投棄型のトイレでしゃがんだ時に、うっかり腰巻の巾着を海中に落としてしまう。本人申告では金額は50両。男は大坂の大店の使用人で、九州の顧客から集金して本店に戻るところだった。

 

途方に暮れた男は海に飛び込んで死のうとするが、周りの先客から止められる。保険金にも入っていないのに飛び込んでもしょうがない。そこに現れたのが、フラスコを輸送中の男で、ちょうどいい実験台があらわれたと、フラスコによる潜水調査の試用を勧める。

 

男はさっそく海の中にガラス瓶のまま沈んでいくと、果たして財布が見つかったのだが、ガラス瓶のなかからでは手が出せない。あれこれももがいているうちにフラスコにひびが入ってしまい水中に沈没してしまう。

 

ところが話は異世界で続くわけだ。海中に沈んだ男が目を覚ますと、近くに立派な門があって、竜宮城の入り口になっていた。これは乙姫さまがいるに違いないと思い、偽浦島太郎となって騙そうとするが、本物の浦島太郎にみつかり、竜宮警察から追われる身になる。

 

そして、海中でのチェースが始まり、噺家は与えられた時間の中で納まるように各種のオチの中から適当なものを選んで調整するわけだ。

 

 

日常と非日常、海中チェース、人間フラスコなどの新製品と民話の融合など、型破りの落語だ。

林芙美子が1939年に書いた随筆。短く軽い読み物のようだが、少し驚く。

 

第一章はロンドンの朝食の話。下宿で2カ月過ごしたそうだが、毎日、(オートミール・ハムエッグ・ベーコン・紅茶)とメニューが変わらないと辛らつだ。その後、日本に帰ってもハムエッグとベーコンを見ると胸がつかえるととどめを刺す。その後、パリの朝食を絶賛している。

 

第二章は驚きだ。自分が仕事で全国に移動するということに続け、各地の旅館の朝御飯に話になる。

 

まず、新潟県の赤倉温泉の「香嶽楼」。旅館なのに朝御飯が「ふかし飯を食べさせられた」と無念に思っているそうだ。現代流に言うと、昨夜の残りご飯を電子レンジで温めたということかな。

 

さらに、東北は飯が不味い旅館ばかりと書いた後、一転して浜松の「辻梅」という旅館を絶賛。といっても具体的には「茶が美味い」と、そこをほめるか?さらに京都の縄手の西竹旅館の朝御飯はふっくり炊かれていてうまいとなっている。

 

調べてみると、酷評された香嶽楼だが、現在も旅館を続けている。さらに浜松の辻梅だがビジネスホテルになっている。朝御飯は500円で手作り感があっておいしいそうだ。なお、一階は辻梅カバン店とのこと。京都の西竹は確認できなかった。

 

美味い店の紹介は、今も昔も多いが、不味い店を名指しにするというのは林芙美子的だ。

 

後に彼女が急逝した後、急遽葬儀委員長になった川端康成は、「故人は自分の文学生命を保つため、他に対しては、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと二、三時間もたてば故人は灰になってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか、この際、故人を許してもらいたいと思います」と記憶に残る弔辞を述べているが、彼女の言葉は一語一句が重く断定的なので身の回りは敵ばかりということになったのだろうか。

山内一豊と言えば、妻(千代・のちに見性院)の持参金で名馬を買い、秀吉の目に留まり出世街道を走り始めたことで有名。実際にはそのころには二千石取りだったので、馬代の十両を払えないことはなかっただろうが、たぶんここ一番で投資できないグズグズ男だったのだろうと思える。むしろ、名馬の見分け方も妻の方が上だったのだろう。妻が「私の持参金で買うから」と言ったのだろうか。

 

 

また、関ケ原の戦いの直前には、西軍の石田三成からの「寝返り要請文」を封を切らずに家康に渡すように夫に指令。意を解釈した夫は、さらに小山評定(家康が福島正則を筆頭とする配下の武将を集めた軍議)の時に、主戦論の福島の発言で開戦に傾いた頃合いで、自分の城である掛川城を家康の行軍の為に差し出すというゴマスリ発言に打って出る。

 

このパフォーマンスで、関ケ原では大した功績がなかったにもかかわらず、掛川から高知への大抜擢を勝ちとる。

 

おそらく、良妻賢母というより、12歳年上の夫の操縦術がうまかったのだろう。

全国各地の山内一豊に縁のある場所に一豊夫妻と名馬の三体セットの銅像があるのだが、高知城の入り口にある本家本元の像は、馬と夫人だけの作品だ。この夫婦の関係の本質を見抜いているのだろう。

将棋連盟のある支部に所属している。年会費がアップしたのだが、一方で今まで郵送されていた支部ニュースや各種の教材の申請がオンラインになって便利になるとのこと。

しかし、便利になるのは将棋連盟の方で、会員の方は何も便利にならないし、この分だと唯一に近いメリットの将棋手帳の配布もオンラインの画像データになって、各自プリントして使ってくださいになるのかもしれない。

とりあえず、郵送された仮パスワードで会員サイトにログインしようとしたが、つながらない。ログインできるのは2週間先とのこと。

今週の出題。7手詰。

 

当初図には、余詰め、変同があったため修正しました。










 

 

 

 

 



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高知市に入ったのが夕方で、価格優先の和風ホテルが場違いのラブホテル街の中にあって驚く。

まず、徒歩圏内の板垣退助生誕地を見にいく。
 



何度も暗殺されそうになり、遭難した岐阜城下の公園には大きな銅像がある。刺された後、「板垣死せども自由は死なず」という有名な言葉を語ったが、その時には死ななかった。その言葉を自筆で揮毫して残した政治家が数年前に暗殺されたのは何の因果なのだろう。


そして「ひろめ市場」に行くと、広いオープンスペースがまだ宵の口なのに酔客で一杯になっていて、座席の確保が難しく、「マグロ巻き(名称不肖)」を買って帰る。約1500円ぐらいかな。
 



そして翌日、仁淀川付近を観光してから再び高知市内に戻り、再び、ひろめ市場攻略へ。
 



さすがに昼間は酔客は激減でテーブル回転数も上がっているので、ついに「カツオのたたき」。実は、店頭でカツオを藁で炙っている店があった。前夜の店でカツオ巻きを買ってきて、その店の前の席でいただく。
 



昼に食べるならカツオで、夜に食べるならマグロではないかと思った。

『沈下橋』というものを知らなかった。四国旅行に行く前に予習的調べていると、『沈下橋』と『平家』というのに目が留まった。『平家』の方は安徳天皇陵など、多くが人里離れた四国山地の中の秘境で、そもそも観光地でもなければ、住宅地でもないということで調べきれず。

 

一方、『沈下橋』の方は、四万十川、仁淀川のどちらにも数多く存在するようだ。要するに川の水量が増した場合は水面下になるように作られている。まあ、ギリギリの場合、渡れると思って失敗して沈む人もいるだろうが、・・・

 

思えば、今まで東京、千葉、神奈川、岡山の4都県にしか住んでいないので、身近なところになかったからイメージが掴めなかったということかな。

 

 

さいわい、仁淀川の「にこ淵」の近くに名越屋沈下橋というのがあって、結構長い。他の沈下橋に比べ、ここには橋の両側に避難スペースが追加されていて歩行者が通行中に車が来たらそこに駆け込むことになっているようだ。しかし注意深く見ると、左側の二番目の避難スペースがあるはずのところにないのは、崩落したのだろう。

 

 

ということで、実際に橋を少しだけ歩くと軽自動車が近づいてきて、退避スパースに駆け込むことになった。上流の方の橋には退避スペースがないことが多いし、車通しがすれ違う時も命懸けだ。一応、重量制限は2トンとなっているが何度も水に浸かった橋梁の耐久性とかわかるのだろうか。

四国旅行三日目は高知県。高知県は東西に長い(実は南北にも距離がある)ので、両サイド(室戸岬、足摺岬)の両端に行くのは1日では到底無理。実際には高知市からの距離は圧倒的に足摺岬までの方が遠いので、東の室戸岬まで行こうかなと思っていたが、それも無理な話ということがわかってきていた。

 

ということで、まずは高知市の北西にある仁淀川の仁淀ブルーを求めてクネクネ道を運転するが、地元の人の運転は、まったく速度オーバー無視なので結構困る。免許証一枚しか持ってないので、停止されると困るわけだ。

 

 

そして、苦心の末、到達したのが『にこ淵』。仁淀ブルーを代表する滝壺だ。実は四国を代表する美河川といえば、四万十川といわれていたのだが、2012年のTV番組で仁淀川が紹介され、観賞用は仁淀川、水上スポーツは四万十川とすみ分けができたようだ。

 

 

にこ淵の看板から、水面までの高低差は20mぐらいかな。整備された階段を手すりにつかまりながら降りていく。実際には下まで下りない場所で滝壺や淵を見ると、水が青い。青いという意味は抽象的表現ではなく、実際に青い。人工的に近いほど青い。撮影スポットから滝を写そうとすると枯れ枝のようなものが邪魔になるが、致し方ない。

 

なぜ青いかについて、説明はないが下流に行くと青くはない。にこ淵から少しだけ下流の川岸の岩が緑色をしていることからすると、にこ淵付近の川底の石の色が緑色で、それと太陽光線で青く見えるのだろうと推測する。

 

なお、古来より、この淵には大蛇が住んでいると言われているそうで、飲食行為や排泄行為やその他怪しい行為をしたものは祟られるといわれているそうだ。多くの観光客の車が路肩駐車をしていたが、無事に帰れただろうか。

二階ぞめき(演:三遊亭萬橘)。「ぞめく」という単語の意味は、「騒ぐ」という意味と、転じて、遊郭などを「ひやかして歩く」という意味がある。落語の『二階ぞめき』は、もちろん後者の方。

 

ある商家の若旦那は、毎日のように出歩いている。どうも吉原に行っているようすだ。まじめな主人(あるじ)はあきれ返っていて、そろそろ外出禁止にしようかと思っている。

 

それを察知した番頭は、若旦那に、毎日吉原で遊んでいるようではだめです、とたしなめるが、若旦那は、吉原に行っているが、花魁を買っているわけではなく、吉原の町並みを歩くのが好きなだけだ、と言い張る。いわゆる「ひやかし」だと言い訳をする。そして、店頭からいつものように蒸発する。

 

困った番頭は、若旦那の言い訳を逆手にとって家中に閉じ込めるために、腕の立つ大工に頼んで、店の二階に吉原の町並みに似た造作を突貫工事で作り上げる。

 

そして若旦那が帰ると、その二階に押し込んでしまう。

 

落語家が奮闘するのがこの後。二階に上がった若旦那は信じられない光景に興奮して、本当に吉原に行ったような気持になり、客になったり、客引きになったり、花魁になったりと一人何役になり切ったパントマイムを始める。

 

そして勝手に一悶着を初めて大騒ぎをしたころ、主人は二階で若旦那が暴れていることに気付き、番頭に見に行ってくるようにいう。

 

番頭は二階に上がり若旦那にそろそろ大人しくするように言うのだが、若旦那は本物の吉原にいるとの勘違いトランス状態から抜けられず、番頭に「おとなしく帰るから、親には内緒にしてほしい」と頼むわけだ。

 

なんとなく期待するのは、「この後にあるだろう親子の対決シーンとその後の悲しい結末」なのだが、噺家はあっさりと軽いオチをつけて、さっさと立ち上がりと幕尻に消えていくわけだ。

『動物たちの反乱』、副題は、「増えすぎるシカ、人里へ出るクマ」。いかにも今年の熊騒動に合わせた書物のようだが、電子書籍になる前の紙出版は2009年。編集者が二人で、執筆者は6人ということ。
 


人間と共存していない野生動物として本書で書かれているのは、ニホンザル、シカ、ツキノワグマ、イノシシ、アライグマ、ヌートリア。

この中で、人間に大きな害を与えている動物として、シカとイノシシにフォーカスしているようで、その他の動物による被害は少ないとされている。ただしアライグマは繁殖力が強くそのうち大問題になるだろうとしている。

本書の初出から16年経ち、問題はまったく解決せずに今日に至り、獣害は拡大し、さらに気象は不確実となり、その結果、動物(および植物)の行きつく先は、住宅地や都会地ということになっている。ついに、人類が動物の餌になる事態になってしまった。旧石器時代に逆戻り?

さらに、ムクドリの大群やハクビシンやスズメバチの住宅侵入など。

シカについては、戦後の森林の整備によって、住みやすい森ができたということで過保護になったとか、狩猟時期が交尾期の夏が終わった後で、長い期間オスだけが狩猟対象だったため、個体数の増加が抑えられなかったことと、交尾期の前が一番シカ肉が美味い時期ということで食用需要がないということだそうだ。

クマについては、今でもそうだが、なぜドングリの結実量が全国ほぼ同時に隔年で増減するかもよくわかっていないらしい。

先日、フィンランド在住の人の話を聞いたところ、「オオカミ、ヒグマ、シカ」の三種類の動物の関係で数をキープしていると言っていた。日本じゃ無理だけど。

個人的には、様々な報道を見ると、ドングリよりも柿やリンゴやミカンの方が好物のようなので、生息地の奥の方にそれらの種子を大量散布して山中にとどまらせるように仕向けたらどうかなと思うが、種から始めると10年計画になるかな。

大谷中学・高校(京都)の高校生数人がバリ島(インドネシア)での研修旅行中(11/30~12/4)に窃盗事案を起こしていたことがわかった。

 

まず、大谷学園といえば、仏教の僧侶をめざす(つまり親が僧侶)の方が多いはず。仏教の基本思想の「喜捨」の逆だ。当該高校生がそういう生徒かどうかはわからないが職業としては不適切だ。猥褻教師みたいなものだ。

 

次に、世界には様々な法律があり、特にイスラム圏では「目には目を」というイスラム法典があり、窃盗犯は片手(右手から)の手首切断という刑罰がある。二回目は両手首が落とされる。数十年前にサウジの首都リヤドへ行った時には、処刑広場に手首がさらされていると言われ、現地日本人から、見に行かないかと誘われたことがあったが、・・・

 

ところで、インドネシアはイスラム教の国なのだが。