親などがどこかの宗教団体に入っている場合は自分が宗教に入った覚えなどなくとも勝手に信者扱いされてしまっていることがある。
寺であれば家族ごと檀家という括りにし、先祖代々ずっと信者として続くような仕組み作りをしている。
日本の檀家という仕組みは、自分がその宗派を信仰していなくても、あるいは否定しているとしても、強制的に家族ごと巻き込んで儀式や行事に参加させ、その都度カネを要求してくる。
それは個人の信教の自由を踏みにじる制度に他ならないが、それは一宗教上の制度であって法律や社会通念や一般常識などではない。
むしろそれらと逆のものだろう。
人を無理やり信仰してもいない宗教の儀式に参加させ、カネを取る行為ほど人の神経を逆なでするものはない。
「無理強いはしていない。あなた一人だけ席を外せばいい」と言うこともできない。
それは単に心理的にそうしづらいというだけではなく、住職は火葬場にも付いてくるのだから、自分だけ席を外したら結果として自分だけ葬式に参加できないのと同じことになる。
人が死んだ時に必要とされているのは火葬と墓しかない。(散骨するのであれば墓すら不要)
それ以外のことについては自分から必要性を感じて業者や寺などに頼むのであれば分かるが、強制的に儀式と墓のセット販売をしているのであればおかしいことになる。
自分の家の菩提寺の場合、勝手に余計な儀式やパフォーマンスをしつこくやって、それに対する大きい見返りを求めてくる。
【参考】葬儀のお布施の相場
・曹洞宗・・・30万円~60万円
・浄土宗・・・30万円~50万円
・真言宗・・・30万円以上
・日蓮宗・・・30万円前後
・浄土真宗・・・10万円~30万円、さらに法名(戒名)のお布施として3万円~10万円
・自分の家の菩提寺(浄土真宗本願寺派)の参考額・・・70万円(法名込み、西本願寺への分骨料込み)
「浄土真宗は一般庶民を中心として広がった宗派であるため、もともと金額が低いという特徴があります。」
https://www.osohshiki.jp/column/article/551
要するに強欲過ぎる。(貪り)
それが最も厄介なのだが、こちらとしては墓の維持ができればそれでいいと思っている。
それを菩提寺が認めないようだから、容易且つ安価に墓の引っ越しができれば助かる。
別の墓地に今の墓石と骨壺を移すというだけの話なのだが、そういった墓の引っ越し業者や、墓の管理費だけ要求する業者が必要とされている。
手続きさえ進めば、今もそういう業者はいくらでもあるが、現状ではそれが容易にできなくなっている。
あるいは、承継者がいない、費用を負担できないなどの理由で、ただ無縁墓になり、管理費等を数年程度滞納することで寺が法的な手続きを経て撤去することもある。
だからこそ、墓を継ぐ者がいない場合は墓の引っ越し(墓じまいと改葬)をするのが筋のはずだが、親戚や菩提寺に理解がない場合は墓の引っ越しでも揉めることがある。
(もし無縁墓を撤去しない場合は見せしめの意味も含め、寺としてはなるべく撤去するようにしているのかもしれないが、法的手続き等の手間、撤去費用等を考慮すれば、あまりにも無縁墓が増えた場合、寺は放置するしかないのだろう。墓が撤去されても困らないという人にとっては人質に取られているわけでもない。しばらく管理費が未納になっていても、回収見込みがゼロでなければ恐らく撤去しない。)
先祖代々受け継がれている墓というのは長男が継ぐことになっている。
その長男に息子がいない場合は長男が死んだ時点で自動的にその墓は無縁墓になる。
つまり、現代の菩提寺にとって檀家の墓というのは、かなり条件が厳しいビジネスをやっていることになるはずだが、浄土真宗の場合は永代供養をしないため、長男に後継ぎがいない場合は永代供養をしてくれる別の墓に引っ越しをしないと寺が無縁墓だらけになる。
しかし、親、親戚、菩提寺などに理解がないと墓の引っ越しのことで非常に手を焼く。
住職は
「我々は動物や魚の肉、植物を食べていますが、それは全て命を頂いていることです。俺だけ良ければそれでいいというのではなく、皆、誰かに支えられています。お釈迦さまは、人間というのは互いの関係のなかで生かされている存在であるとおっしゃっています」
「~からずっと続く檀家ですから」
と言うのだが、個人的にはそういう問題ではなく、後継ぎがいなければ檀家は続きませんよということ。
寺への経済的支援についてもこちらに経済的余裕がなければ無理がある。
浄土真宗でもそのようなニーズや時代の流れに応え、永代納骨をしている寺もあるが、自分の家の菩提寺でそれが出来ない場合は本山納骨という方法もある。
永代供養ができないのは浄土真宗ってほんと?その理由や納骨する方法などをご紹介
永代供養がないといわれる浄土真宗の寺院に納骨する方法・費用とお布施の書き方
そのような方法を取っても、代々続いてきた墓がある場合は、離檀、墓じまい、改葬などで20万円~100万円程度かかってしまう。
結局のところ、余計な儀式不要、墓だけ残ればそれでいいということなのだが、人が死ぬ時、寺は稼ぎ時になるため、どうしてもセット販売をやろうとする。
何も宗教法人と関わりがなければ一番良かったのだが、親がそういったものに入ってしまっていると子にも累が及んでしまう。
何らかの宗教の信者やそれと関わりのある人達というのは、寺や教団に多くカネを出さないと何か申し訳ないような、悪いことをしているのではないかという心理の人が多く、なるべく簡単に安く済ませようとする人はほとんどいない。
(やたら高額なお布施等を要求してくる宗教ビジネスというのは、そういうキャンペーンや洗脳で成り立っているのだろう。また、お布施などの宗教活動で得た収入には税が掛からず、ほとんどの宗教法人は毎年の収入すら開示していないため、いくら儲かっているのか、どんなことにカネを使っているのかといったことは行政も信者も全く分からない状況になっている。)
だから信者というのは貧乏人が多い。
親戚に創価学会信者などがいればなおのこと大変なことになってしまう。
(例えば、親戚の創価信者が親に聖教新聞の購読を一時的にしてもらうことでこちらの家も創価信者の世帯という扱いにし、何らかの形で金儲けに利用されたり、悪質な嫌がらせ行為を受けたりするなど)
今はカネこそが最も大事な世の中であるため、多くの宗教団体は単なるビジネスに成り下がった。
創価学会の場合、「河辺メモ」という資料によれば1986年の財務(お布施)は1200億~1300億円、前年は1800億円だったという。
発行部数550万部の聖教新聞の年間収入は数百億円。墓苑事業も数百億円規模だが利益率が高い。
また、創価学会は岐阜県にある東濃鉱山周辺に3万坪の土地を買い、そこでウランが出たとの報告を受けた池田氏は
「それはすごい・・・億万長者だな、ウランは時代の先端を行くものだ・・・30億位にはなるよ・・・会館を作れ、ウラン会館だな」と喜んだという。
末端信者らはみな貧乏だが、本部職員は40代後半で年収1000万円を超え、退職後も基礎年金、厚生年金が給付される。さらにそれに上乗せされる創聖企業年金基金が用意されており、創聖企業年金の老齢給付実績は平均で1人年139万7100円。(企業年金連合会の平均額は年83万円)
週刊東洋経済2018「宗教 カネと権力」より
個人的には仏陀の教えに忠実に従っている仏教は好きなのだが、浄土真宗や創価学会は、あまりにもそこからかけ離れているために嫌っている。
修行をせずとも念仏を唱えていれば極楽浄土に行けるというのは好きではないし仏陀の教えでもないように思っているために、浄土真宗の念仏を聞いていると不快感を覚えるのかもしれない。
浄土真宗の場合は死んだ直後に成仏するということになっていて、南無阿弥陀仏と唱えていればご本尊阿弥陀如来による本願(他力本願)でみな極楽浄土に行けるというストーリーになっており、煩悩を捨てることができなくていいという宗派であるため、仏陀自身が説いた教義とはむしろ正反対のように思える。坊主頭でもないため、法衣こそ着てはいるが風貌からして僧侶にも見えない。(チャラい感じの髭を生やしている人もいる)
日蓮の教えを最も正しく伝えていると称する仏教団体である創価学会(日蓮正宗から破門されている)に至っては寺ですらなく、現世利益という教えを広め、教団に経済的支援を惜しまない者には相応の対価が得られるとしている。
「願い事も徳の高いお坊様にお布施を積めばいろいろな福徳が得られるという発想から来ているのです」
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000215603
また、宗教法人であるにもかかわらず国家権力への浸透を図り、長年にわたり自民党と連立政権を組んでカネと権力を欲しいままにし、与党でありながら憲法で規定された政教分離の原則さえも軽視している。
そういった教義(他力本願や現世利益)を広め、活動している団体が未だ大きい勢力として力を維持し、また、カルト系の新興宗教団体も多いことから、日本では「宗教をやっている」というだけで変な目で見られるようになり、真面目に宗教をやっている人間が余計な苦労をしているのだろう。
浄土真宗であっても檀家制度を悪用して儀式を勝手にやって高額請求するようなことをしなければどうでもいいのだが、家の菩提寺がそういう寺であるために非常に手を焼いている。
しかも親戚には創価学会の信者も多数存在し、様々な嫌がらせ行為等も受けているため、宗教絡みでは最悪の家だと言っていい。
基本的に宗教というのは何を信じようと信じまいと自由であるはずだが、それを信仰していない人にまで付きまとったり無理強いしたり高額請求したりするからトラブルになったり対立したりするのだろう。
それはテロや国同士の争い(戦争)などにおいても同様のことが言える。
宗教があるからテロが起きると言っている人もいるが、個人的にはそこまで思わない。
余計な干渉をしなければそれでいいはず。(オウム真理教のような危険なカルト教団もあるのだから、活動内容や社会への影響に関しては当然、当局者は注視してしかるべき)
週刊東洋経済2018「宗教 カネと権力」より
【参考】
「墓じまい」を進める人が増加中。墓石はいらない? 埋葬に変化も | ファイナンシャルフィールド
【話題】「墓じまい」を進める人が増加中。墓石はいらない? 埋葬に変化も [Ikh★] (5ch.net)
【話題】「墓じまい」を進める人が増加中。墓石はいらない? 埋葬に変化も ★2 [Ikh★] (5ch.net)
【参考】
「そもそも、初七日から四十九日までの「中陰(中有)」に始まる法要というものは、どういう根拠でなんのために行われるものなのかを調べてみますと、古代インドの宗教や儒教の影響、末法思想に基づく地獄の概念などから発生したものばかりで、本来の仏教とは基本的に関係ないということに気付かされ、かなり驚くことになります。」